ポークのウェルダンで物語な日々

主に映画、ときどき小説、漫画、ゲームなどの感想や紹介を書いています。

『ライオン・キング』感想|アフリカの風を感じました

ナァ~~チフェンニャァ~マバディ~チババ~(適当)


どうも、はじめましてこんにちは。太陽が東から昇るがごとく、這いのぼってまいりましたポークでございます。


公開からかなり経った頃でしたが、劇場にて映画『ライオン・キング』を見てまいりました。

幸いまだ上映は続いているようですので、まだ観ていないという方もまだ間に合う!観ずに後悔より観て後悔、さあ劇場へGO! でございます。賛否両論あるようですが、決して観て損はない作品であると思います。

 

……なんてことを言っておきながら、実はわたくし、恥知らずなことにアニメ版は未視聴でございます。実写だけで知った気になって感想を書こうなんていうふてぇ野郎ですが、どうかご容赦くださいませ。

アニメを見ていないからこそ、見えてくることもきっとあるでしょう。知らないからこそ、ありのままを受け入れられる。そんな生まれたてのヒヨコのように純粋な心で書いていきたいと思います。

なおネタバレについてですが、物語の核心に触れるような記述は避けておりますので、まだ観たことがないという方もどうぞご安心ください。

 

映像すごい、というかドキュメンタリー

果たしてこれは本当にフィクションなのか?

どこぞの国のクルーたちがサバンナに張り込んで、実は動物も人語を話すという衝撃的事実を隠し撮りしたのだろう。

いやいや、何かしらギリギリ合法な薬か何かを使って動物たちを調教して演じさせたに違いない。

いいや違うね、これはディズニーの陰謀だ。人間の脳を動物に移植して操るという、壮大な人類わんにゃんパニック化計画だ。ディズニーならやりかねん。

 

なんていう動物愛護団体も真っ青な妄想をしてしまうくらいには、あまりにもリアルなフルCG映画でした。

風に揺れる毛並みや、動物たちそれぞれの動きやしぐさも、現実そのものでした。もはやドキュメンタリー映画です。いつダーウィンが来てしまうかとひやひやしました。

 

それもそのはず。本作は2016年公開の実写版『ジャングル・ブック』を手掛けたジョン・ファヴロー氏が本作でも監督を務めているのです。『ジャングル・ブック』もまた「動物って演技できるんじゃん」と錯覚するほどの末恐ろしい映像技術でしたが、今回の『ライオン・キング』でそれは完成されたと言っても良いのではないでしょうか。フルCG映画だというのに、"実写化"と言われるのもうなずけるというものです。

 

ところがどっこい。CGCGと言っておきながら、実は実際にサバンナで撮影された本当の実写シーンが一つだけ存在するそうです。

みんな、気づいたかな★というジョン・ファヴロー監督の茶目っ気なのだとか。

ちなみに私は全く気づきませんでしたね。というか実写がワンシーンしかないことのほうが驚きです。そもそも気づいた方は存在するのでしょうか。なんならすべてが本物の映像と言われても、私なら騙される自信があります。

さて、おそらく誰も分からないと思いますので言ってしまいますが、その映像は一番初めの冒頭の部分なのだとか。しかしまあ、そう教えられてもピンとこないくらいには、全編通してリアル・サバンナでした。

まだ観たことがない、これから観るぞという方は、そんな部分にも注目しつつ視聴してみることをお勧めします。

 

表情につきまして

しかし、このように執念を感じるレベルでリアルさを追求した結果、キャラクターたちの表情が失われてしまったなんて声も多々ございました。

私はアニメ版を見ておらず『ライオン・キング』自体はじめまして状態だったので、そういうものとしてそれなりに受け入れることはできました。しかしアニメ版を見た後だと、デフォルメされ目も口も眉も縦横無尽に動き感情丸出しにしていた彼らが、能面のようになってしまったと感じるのも無理はないように思います。

 

主人公シンバとヒロインのナラが感動の再会をしてじゃれ合うシーンなんか、そのまま交尾が始まっても違和感ありませんでしたからね。男女のムードをリアル・ライオンから感じ取ろうなんて、どだい無理なのです。よほどマニアック中のマニアックな趣味をお持ちでない限りは、互いに異性を意識し合う野生のライオンを見てロマンティックを感じる方はそうそういないでしょう。“発情”という言葉のほうがしっくりきます。

 

なのでまあ、『ライオン・キング』に限ってはアニメと実写を切り離して観るべきなのだろうと思いました。

実写版『ライオン・キング』は、とにかく何よりもリアルさを追求した映画なのです。その結果、動物たちの表情や個性が死んでしまっても、それでも“本物”を表現したかったのでしょう。アニメ版とはそもそも目指しているものが違うのです。これはもはや観客が楽しむかどうかよりも、どこまで完璧にできるかを目指した作品であるように思いました。

逆にあそこまでリアルな動物たちが、ありえないくらい口角を釣り上げて目をかっぴらいて歌いだしたら、それはもうホラー映画になってしまいますしね。

 

といったように、私は原作を観ておらず無知で能天気なゆえに、まあまあ肯定的にとらえることができました。

もちろん、だからと言ってすでにファンがたくさんいる『ライオン・キング』でそれをやるなよ、新しく作った全く別の物語でその圧倒的技術を見せてくれよという気持ちもあります。未視聴なのでなんとも言えませんが、アニメ版であれば得られただろう感動やトキメキを、実写版では感じられなかったのでしょう。

 

それでも本作の素晴らしい映像は、評価されるべきだと思うのです。

キャラクターたちに感情移入できなかった、シンバとナラの再会シーンやラストに涙できなかった、確かにそれは思いました。

しかし、映画が始まってすぐのことです。様々な動物たちが本物さながらの姿や動きで生き生きとサバンナを闊歩する様を見て、私は心から感動しました。ちょっと涙ぐんだくらいです。特に私の大好きなネズミっぽい小動物さんがせかせかと走るシーンなんか、仕草はリアルだしかわいいしで興奮のあまり心臓が止まりそうになりました。もっとも、その直後のシーンで本当に止まったと思います、心臓。

それは置いておいてとにかく、一人の人間に心臓止まったと思わせるくらいには感動する映像だったということです。人類の技術進歩に感謝。

 

とはいえ、これを機にアニメ版のほうも観たくなってしまったので、アニメ視聴後に意見が180度変わる可能性も十分ございます。実写化ふざけんなアニメ最高人類の宝じゃ~などとほざき出すかもしれません。ですのでここまでの意見というのもおこがましい駄文は忘却していただいて大丈夫です。

 

ハクナ・マタタ

本作でそれはそれは観る者を楽しませてくれた仲良しコンビ、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァが大好きになりました。

彼らは落ち込むシンバを励まし、とある素敵な言葉を教えてくれます。

それは「ハクナ・マタタ」。

スワヒリ語で「心配ない」「どうにかなるさ」といった意味があります。

沖縄の方言「なんくるないさー」やスペイン語の「ケセラセラ」と同じような意味でしょうか。世界各地で似たニュアンスの言葉があるというのは興味深いことです。

 

さてこの「ハクナ・マタタ」、なんだか大人になって観たほうが染みる言葉ですね。

お金、容姿、人間関係、最近髪の毛が薄くなってきた。現代の大人は何かと思い悩んでばかりです。

そんなときは思い出してください、「ハクナ・マタタ」を。

心配ありません、どうにかなります。人間そんなヤワじゃありません。髪が薄くたって大丈夫、慣れます。下手に隠そうとせずに、思い切ってスキンヘッドにしてしまえばいいのです。男らしくてかっこいいですよ、きっと。責任は取りませんけれど。

 

とにかく、悩みに悩んで辛い、苦しい、もうだめだと思ったときは、「ハクナ・マタタ」です。結局のところは気の持ちようなのでしょう。

そして、森で暮らす素敵な仲良しコンビも思い出してあげてください。きっとティモンとプンバァなら、シンバと同じようにあなたも楽しく励ましてくれることでしょう。

 

 

そんなこんなで、『ライオン・キング』感想でございました。

いろいろ書きましたが、やっぱり原作を観てから視聴したほうがよかったような気もします。シーンの一つ一つにも感じることがあったでしょう。

それでも、遠くサバンナの地を吹き抜ける風を感じられるような、そんな素晴らしい体験をさせていただきました。ありがとう『ライオン・キング』。

 

最後に。この不況のなか老後の年金も危ぶまれ、仕事に学業に家事に育児に忙しい日々を送りながらも、このような道端に転がる石ころのごとき当記事を最後まで読んでくださったあなた。本当に本当にありがとうございました。皆様がハクナ・マタタとともにあらんことを。

それでは、またどこかで。