ポークのウェルダンで物語な日々

主に映画、ときどき小説、漫画、ゲームなどの感想や紹介を書いています。

『ブラック・スワン』感想|苦悩と妄想の果てにあるものとは

皆様こんにちは、初めましての方は初めまして、ポークと申します。

今日も今日とて元気に映画の感想をつらつら書きなぐりたいと思います。

今回の映画はズバリこちら、ドン

『ブラック・スワン』

と~っても怖かったです。元気とか出ません。疲労感と、すごいものを観てしまった感にさいなまれる怖すごい映画でございました。

 

まずはじめにバレエが好きな方、今現在バレエを習っている方に申し上げたいことがございます。果たしてこの条件に該当する方がどれだけこの駄文を見てくださっているのかは分かりませんがとにかく。

絶対に、この映画を観ないでください。いえフリじゃなく。プロのバレリーナを目指している方なんてもってのほかです。これはバレエの美しさを楽しむ映画ではございません。軽い気持ちで観てしまったら最後、バレエの世界に行きたくなくなること間違いなし山のごとしでございます。

もしそういった方ですでに観てしまったというのでしたら、仕方ありません。きっとバレエの世界はこの映画のようなことだけではないはずです。素晴らしいこともあるはず、あなたの夢を応援しております。

 

話が脱線しましたが、それだけ怖かったということです。「ダークな雰囲気ではあるけれど、そこまでホラーではないだろうダイジョブダイジョブ」と思っていたのですが、まったくジャンルはしっかり調べないといけませんね。まあホラーは大好きなので何ら問題はありませんでしたが。

さてネタバレについてですが、後半に物語のラストに触れる部分があるので、未視聴の方は途中までにとどめておいたほうがよいでしょう。

相変わらず長~い前置きでしたが、ようやく本編スタートです。

 

妄想と現実のはざま

バレリーナのニナは、今度の舞台「白鳥の湖」で主人公の白鳥と、王子を惑わす黒い鳥、ブラック・スワンの二つの役を務めることになります。白鳥は完璧でもブラック・スワンの王子を誘惑するセクシーさが表現できないニナは、プレッシャーに苦しむことになります。過保護すぎる母親の存在や同じバレエ団のバレリーナ・リリーに主役を奪われるのではないかという疑心暗鬼にさらに悩みに悩む中、ついには幻覚を見るようになってしまいます。何が幻で何が真実なのか。妄想と現実のはざまで、果たしてニナは無事「白鳥の湖」を演じ切ることができるのか  !?乞うご期待!!

 

  といったストーリーなのですが。

とにかくニナの見る幻覚が怖いのです。怖いし痛い。指のささくれをはがしていくなんていう、そんな見ているだけで痛いやつです。苦手な方は要注意の上、薄目で観ましょう。

また男を誘惑するような演技を求められていたからか、やたらとえっちぃ幻覚も登場します。実際日本ではR15+指定での公開となっていたので、健全な青少年の皆様は注意が必要でしょう。

とはいえそれらが妄想だったとわかったときの恐怖もなかなかのものでした。結局全部ひとりよがりだったわけですからね、文字通りの。なんといいますかこう、プライバシーの極致ともいうべきそういった行為の記憶すらあやふやになってしまったらもう、自分を形成する根本的なものが崩れてしまいそうじゃないですか。

そんな感じで本作は日常が徐々に幻覚に浸食されていく様が見事に表現されておりました。あのシーンは幻覚だったのか本当に起こっていたのか未だに分からないといった場面もあり、ラストはそのために大変驚かされることとなりました。

 

しかしそもそもニナがこうも苦しむことになったのは、初めて選ばれた主役という栄光に固執しすぎたためであるとも言えます。もっとも彼女の場合は母親との関係性も一因としてあったでしょう。ですがそうはいっても孤高の主役として周囲と距離を置いてああも内向的に走らなければ、こんなホラー的展開にならずに済んだのにと悔やまれるばかりです。

いやはや綺麗な花にはとげがあるように、美しきバレエの世界にも主役の座をめぐって恐ろしい欲望や嫉妬が渦巻いているのですね……。


さて映画未視聴の方。少なくて申し訳ないのですが、残念ながらここからはネタバレが含まれることになります。ここまで読んでくださっただけで感激もひとしおでございます。ネタバレとかふざけんなという方は、これにてさらば。また会える日を願っております。

 ネタバレどんと来いという方は、このままスクロールお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこまでもひとり

先ほど書いたように、この映画はニナという一人のバレリーナがどこまでも内向的に自分自身を見つめたまま完結する物語です。

ニナは完璧主義者です。「白鳥の湖」の主役の座を射止めたのも、名声を得たり勝ちたいという欲よりも完璧さを求めた故であるように思います。

そしてややこしいですが、完璧主義者の方が自分のしたことが完璧かどうかを判断するのは自分自身ですよね。そう考えると、やっぱり彼女はどこまでも内向的で自分自身を評価することしかできなかったと考えられるのではないでしょうか。

逆に彼女は自らの感情を表に出すことは苦手としています。演技は完璧でも、もっと官能的に踊れと言われたとたんハの字眉になって気弱になってしまうのです。特にそういったえっちぃことに関しては疎く、言ってしまえばお堅いタイプでした。

感情の発露やえっちぃことをするには、相手が必要です。自分以外の存在に、自分の欲求や感情をぶつけるわけですからね。そのため内向的な彼女にとって、これらは苦手なことだったのです。

そんなニナが「白鳥の湖」の主役を完璧に演じ切るためにひねくりだした苦肉の策が、もう一人の自分を生み出すということだったのではないでしょうか。

ライバルであるリリーはずいぶん嫌な女性として物語にたびたび登場しますが、ニナが妄想の中でもう一人の自分として創り出した実在しない存在なのでしょう。実際のリリーは単に奔放でおせっかいないい人だと私は解釈しています。演出家のトマの「君の道をふさぐ者は、君自身だ」というセリフがまさにそういうことなのでしょう。

あれもこれも全部私、ぜーんぶ私の頭の中で起きていること♪です。

唯一ニナの作り上げてしまった世界に、ニナの先入観なしに干渉できたのは母親のエリカくらいでしょう。

エリカはエリカでちょっと怖い人でした。彼女自身もかつてはバレリーナとして主役にのぼりつめることが夢だったようですが、ニナを身ごもったために道半ばで諦めることになったのです。なんとも複雑な親子関係ですね。

そのためかニナが主役に抜擢されたときには少し様子が変でした。その後も、おそらくはそれまで以上にニナを束縛するようになります。それによってニナがさらに追い詰められていったのは間違いないでしょう。ゆがんだ愛は時に人を縛るのです、愛とはなんぞや。

しかしそんなエリカも、最後のニナの演技を見て感無量といった表情を浮かべていましたね。あの瞬間だけは、複雑な親子関係なしに一人の観客として感動することができたのでしょう。そのあとを思うと憂鬱になりますが、あれはあれでよかったと私は思います。

完璧な演技をするためには、最後に自らの命すら捧げなければならない。何とも皮肉ですが、最期の彼女の表情を見る限り、ニナは本当に満足していたのでしょう。

こういう“はたから見ればバットエンドだけど、本人的には幸せ”な『マッチ売りの少女』的エンドは、私としては好きです。それに完璧を求めた女性の物語であることを思えば、まさに完璧なラストだったといえるのではないでしょうか。

 

 

……といったように、いろいろと考えさせられる映画でした。まあ私の矮小な脳みそでは、そう核心に迫るような考察はできません。しかし本能で何かを感じとったような気がします。こればっかりは実際に映画を観てみないと分からないことでしょう。

プレッシャーに押しつぶされ少しずつ狂っていく怖すごいナタリー・ポートマンが見たいという方は、ぜひこの映画を観てみてください。


最後に。この果てしないインターネットという名の大海の片隅で、波にもまれつつもささやかに存在する当ブログを発見し、さらには最後まで読んでくださり誠に誠にありがとうございました。いつもながら、皆様の幸せを祈っております。

それでは、またどこかで。