ポークのウェルダンで物語な日々

主に映画、ときどき小説、漫画、ゲームなどの感想や紹介を書いています。

映画『MAMA』ネタバレなし感想|幼い姉妹が森で出会ったのは、ちょっぴり怖くてやっぱり怖いママでした

今更ながら、明けましておめでとうございます。犬派か猫派かと聞かれたら、どちらかと言えばげっ歯類派のポークでございます。約3か月もブログの更新を放棄し怠惰で長すぎる年末年始のお休みをむさぼったクソ野郎、そうそれは私でございます。

しかしまあ私が堕落した人間であることは私自身が一番よく知っているので、今後も堕落したままに神出鬼没なブログを書いていこうと思っております。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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というわけで今回鑑賞いたしました映画は、『MAMA』

みんな大好き、ママ。夜のお店で迎えてくれるほうではありません。おいしいスパゲティが作れるほうでもありません。そう、ミルキーの味のほうでございます。

と戯言はさておきましてこの『MAMA』。ミルキーのごとき甘そうな題名をしていますが、この作品はホラー映画でございます。苦手な方は間違っても題名につられないように。

そしてこの作品は、2017年の『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞、アカデミー監督賞を受賞したあのギレルモ・デル・トロ氏が製作総指揮を務めた作品だったりします。

私も大好きな彼が関わっているだけあって、ホラーとは言っても、どこか哀愁漂うような、怖いけれど、それだけではない切なさがある世界観の物語でもありました。

そんな怖切ない『MAMA』、さていったいどんな物語なのでしょうか。

 

ある日、森の中、“ママ”に、出会った

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ヴィクトリアとリリーの幼い姉妹は森の中の小屋で、実の父ジェフリーにあわや無理心中させられんとしていたところを“何か”によって助けられます。姉妹はそれを“ママ”と呼んで慕い、5年間“ママ”に育てられたのでした……。

一方、ジェフリーの双子の弟でイラストレーターのルーカスは5年間も行方不明となっていた姪っ子たちを必死に探し続けており、ついに2人を発見!姉妹の伯母ジーンとなんやかんやの親権争いの末に2人を引き取り、恋人であるアナベルとともに育てることにしたのです。姉妹には“ママ”がついて(憑いて?)きているとも知らずに……。

さあ困った!2人を引き取ったとたんに起きる怪現象の数々!家で誰かの気配がするなんて当たり前!見えない何かと遊ぶ子供たち!姉のヴィクトリアは眼鏡をはずした時何が見えているんだ!?妹リリーはどうしていつも汚れているのか!?というか今何を食ったリリー!?

 

なんていう、とってもキュートでプリティーなはずの幼女2人が、その可愛さを微塵も感じさせない不気味さ、気持ち悪さで観る者を慄かせ、ついに現れたラスボスたる“ママ”の恐怖に人は泣き叫ばずにはいられない、そんな映画  そうそれが『MAMA』なのでございます。

なお、本記事では物語の核心に触れるようなネタバレはしておりませんので、未視聴の方もどうぞご安心してお読みくださいませ。

 

正体が分からない、だから怖い

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『MAMA』の怖さは、襲ってくるお化けの姿がなかなか現れないところでしょう。

そもそもお化けなのか?もともとは人間だったのか、それとも人とはまるで違う森に棲む化け物なのか?はしゃぐ姉妹のそばに何かがいるのは確かなのに、画面から見切れていたり、障害物があって見えなかったりで正体が分からない。しかし時折、明らかに人間とは異なるような手がちらりと見えたり、不気味な低い女の声が聞こえたり……とにかくそこにいるのは確実にヤバイ見た目のヤバイ奴だと伝えてくるわけです。

また姉のヴィクトリアが極度の近視だったのもより怖さを引き立てておりました。

彼女は“ママ”と出会う直前に眼鏡を失ってしまったため、その視界はひどくぼやけていて“ママ”を見てもぼやけた黒い何かということしか分からないのです。

かく言う私もド近眼でして。眼鏡をかけていない時の不便さを思うと、5年もその状態が続いたヴィクトリアに心からの同情と共感を持ってしまいまして、でも夜景はロマンチックに見えるよなどと励ましの言葉をかけていたなんて話はどうでもよく。

とにかくぼやけたヴィクトリアの視界しか見せられないことで、観ている側はそれが何なのか断片的にしか分からず、だからこそどこまでも無限に恐ろしく想像できてしまうのです。分からないからこそ怖い、これこそが最も恐ろしいホラー演出なのかもしれません。

 

でも後半は……

しかし。それは逆に言うと、物語が進み“ママ”の正体が分かってくるにつれてだんだん怖さは半減してしまうということでもありました。

いえもちろん怖かったのです。なんといっても今回“ママ”を演じているのはホラー映画界では必要不可欠と言っていい人物、ハビエル・ボテットが演じているのですから。『REC/レック』シリーズや『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』などのお化け役として大活躍の彼は、持ち前の長い手足を駆使してそれはそれは恐ろしい姿を見せてくれました。これから観るという方は、どうぞその姿を楽しみにしていてください。

つまり“ママ”のビジュアルが怖くなかったということではなく、正体が判明したことによってある意味で安心感を得てしまったため、ちょっぴり怖くなくなってしまったと感じたのです。

先ほども書きましたが、分からないからこそ人は自分にできる精いっぱいの恐怖を想像してしまうのです。やはり人の想像力とは果てしないものなのですね。人類の発展のためには大いに結構ですが、ホラーにおいてはとんでもない恐怖演出装置となるのです。

また、詳しくは書きませんが、ラストが賛否両論分かれそうななんとも言えないかたちで終わったこともあり、『MAMA』の怖さや物語のテンポは後半に行くにつれて失速してしまったように感じたのでした。

 

……とまあ、何もかかっていないゴキブリホイホイを回収するのにも「かかってる!見えた!かかってる!」などとギャアギャア騒ぐ哀れな私ごときが偉そうなことを書きましたが、もちろん全体的にはホラーとして本当に怖面白かったのです。ホラー好きにはたまらないゾクゾク感を味わうことができました。後半は怖さというよりも、デル・トロ作品特有の切なさがより印象的だったでしょうか。

 

“お母さん”とは

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ミルキーを食べることすら怖くなってしまいそうなホラー映画『MAMA』ですが。この作品は題名の通り“母親”がテーマとなっていました。

ヴィクトリアとリリーの姉妹は、本当に幼い、リリーなんてまだ赤ちゃんの時に実の母親を失い、そのすぐ後に森の小屋に2人っきりで取り残されてしまいました。そのため二人には母親がどんなものなのかという記憶がほとんどなかったのです。

そんなかわいそうな姉妹の母となったのが謎の存在“ママ”であり、そして5年後に叔父ルーカスに引き取られてからは、ルーカスの恋人アナベルが2人の母となりました。

しかし、このアナベルはミュージシャンでありロッカーであり、かといってそこまで売れっ子というわけでもなく、お顔はパンダのごとく目の周りを真っ黒にするバッチリメイクをしているという、間違ってもまっとうな母親には見えない、そんな人物なのです。当然アナベル本人も最初は自分が母親なんて……と戸惑いますが、少しずつ、彼女たちの距離は縮まっていきます。

とはいえそんなナリのアナベルですから、親権争いに敗れた、ヴィクトリアとリリーの伯母ジーンとしては不安で仕方がないし、おそらく“ママ”自身も、「こんなのがこの子たちの母親だなんていけないわ、私が育てなくちゃ!」なんて思いながら化けて出ていたことでしょう、たぶん。

それでも、さまざまな心霊現象に見舞われたり、役立たずのルーカスがすぐにケガで入院してしまったり、ジーンにいろいろと嗅ぎまわられたりと数々の苦難を越えて、ヴィクトリアとリリーの二人はアナベルを信用するようになり、アナベルもまた2人に愛情を抱くようになるのです。

 

母親とは、なんでしょう。ロッカーで、ケバケバメイクのアナベルに、イラストレーターのルーカス。娘が結婚相手として連れてきたら世のお父さんは迷わず追い返すだろう職業の組み合わせの2人で、金銭的にも余裕がなく、それでも果たして親になれるのでしょうか。

ええ、なれるんです。愛さえあれば。

5年間も姉妹を探し続けたルーカスはもちろん、アナベルもまたともに暮らすうちに深い愛情が芽生えていきました。ルーカスとアナベルの愛は、きっとヴィクトリアとリリーの実の両親とも変わらないものになっていたでしょう。愛さえあれば、どんな困難にだって立ち向かえるのです。

 

愛さえあれば

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……さて前章でさんざんまくし立てておいて申し訳ありませんが、愛があればどんな困難だって……なんていう考えは、私からすればキレイ事の嘘っぱちでございます。

親として子供をちゃんと育てられるかどうかは、結局のところお金次第だと思いますし、その愛情が子供に正しく受け取られるか、受け取れる子供になってくれるかもきちんと考えて接しなければならないと思います。

愛は地球を救いますか?愛があってもどうにもならないことは山ほどあります。愛でゴキブリはこの世から消えますか?あの黒々とした塊が壁に張り付いているのを目撃してしまった忌々しい私の記憶は?ゴキブリホイホイにかかっていなかった、つまりまだ家の中をあのおぞましい6本の脚で闊歩しているという絶望的な事実は!?……失礼、取り乱してしまいました。

何が言いたいのかと言いますと、それはつまり。愛という不確かな感情は、決して万能ではないのです。誰もが全ての人を等しく愛することができるわけでもありません。ひとりの人間が愛を向けられる存在なんて、そう多くはないのです。みんなそれぞれ別々に愛する者があって、だからこそ争い、だからこそ絶望するのです。

そういった意味では、賛否両論分かれそうな『MAMA』のあのラストも、「大切なのは“愛だけ”ではない」ということを表現していたのかもしれません。

 

ですがしかし。この『MAMA』という物語は、そんな何の役にも立たなそうな愛が、不確かで扱うのも難しそうな愛こそが、この家族を救うのではないかという希望を持たせてくれる映画でもありました。

ロッカーにイラストレーターという子育てに縁がなさそうな2人が、まともに人間に育てられていない野性味あふれるこの姉妹を、本当に育てられるのか?

しかも伯母ジーンどころか正体不明の“ママ”とまで親権争いをしなければなりません。問題は山積みだけれど、というか問題しかないけれど、それでも。なんだかこの家族ならどうにかなりそう、だって深い愛でつながっているから。そう感じさせてくれるのです。

そう。愛で救えないものなんて山ほどあります。でも、愛が救えるものもまた、山ほどあると思うのです。

愛はあの黒い節足動物をこの世から抹殺することはできないけれど、愛することはできます。そう、愛をもって接すればたとえ家にヤツがいようとも優しく受け入れることが……ええ、どう考えても不可能ありえない生理的に無理ですが。

それでも、苦しいとき、トラウマ映像に苛まれるとき。誰かに愛されていると感じればそれらは和らぐでしょう。愛は黒い悪魔から我々を守ってはくれませんが、傷ついた心を癒してくれるのです。

現実は愛だけじゃあどうにもならない。そう諦めるのは簡単です。でも、愛するという、人に与えられた素晴らしい心の可能性を信じてみるのもいいかもしれない。アナベルたちも、困難は多いだろうけれど、それでもきっと本当の家族になれる。そんな希望を見ることができました。

 

終わりに

そんなこんなの『MAMA』でございました。

後半なんてもう、突然愛について語りだし、あまつさえ人類の嫌われ者Gの話まで持ち出してしまうという、黒歴史オブ黒歴史確定の奇行に走ってしまったわけですが(お食事中の方、大変申し訳ございませんでした)。ともかくもそれだけ愛情深い映画だったのです。まあ3か月もブログ更新を怠った愛のあの字も分からないクソ野郎のやることなので、冷ややかな目で見ていただければと思います。

まあ、そんなことはさておき。決して大絶賛!というわけではなかったのですが、ホラー映画ながら深い愛と、そして切なさを感じられる不思議な映画でございました。やっぱり誰にとってもお母さんとは特別な存在なのですね。母は強し。

 

最後に。“ママ”の愛情よりもさらに深く埋もれた、というか溺れた当記事を発見し、こんなところまで読んでくださった愛情深きそこのあなた。そんな方はそうそういません。あなたの愛が、この消しゴムのカスのような記事と、Gによって荒んだ私の心を救ってくれるのです。本当にありがとうございます。

それでは、またどこかで。