ポークのウェルダンで物語な日々

主に映画、ときどき小説、漫画、ゲームなどの感想や紹介を書いています。

映画『MAMA』ネタバレなし感想|幼い姉妹が森で出会ったのは、ちょっぴり怖くてやっぱり怖いママでした

今更ながら、明けましておめでとうございます。犬派か猫派かと聞かれたら、どちらかと言えばげっ歯類派のポークでございます。約3か月もブログの更新を放棄し怠惰で長すぎる年末年始のお休みをむさぼったクソ野郎、そうそれは私でございます。

しかしまあ私が堕落した人間であることは私自身が一番よく知っているので、今後も堕落したままに神出鬼没なブログを書いていこうと思っております。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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というわけで今回鑑賞いたしました映画は、『MAMA』

みんな大好き、ママ。夜のお店で迎えてくれるほうではありません。おいしいスパゲティが作れるほうでもありません。そう、ミルキーの味のほうでございます。

と戯言はさておきましてこの『MAMA』。ミルキーのごとき甘そうな題名をしていますが、この作品はホラー映画でございます。苦手な方は間違っても題名につられないように。

そしてこの作品は、2017年の『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞、アカデミー監督賞を受賞したあのギレルモ・デル・トロ氏が製作総指揮を務めた作品だったりします。

私も大好きな彼が関わっているだけあって、ホラーとは言っても、どこか哀愁漂うような、怖いけれど、それだけではない切なさがある世界観の物語でもありました。

そんな怖切ない『MAMA』、さていったいどんな物語なのでしょうか。

 

ある日、森の中、“ママ”に、出会った

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ヴィクトリアとリリーの幼い姉妹は森の中の小屋で、実の父ジェフリーにあわや無理心中させられんとしていたところを“何か”によって助けられます。姉妹はそれを“ママ”と呼んで慕い、5年間“ママ”に育てられたのでした……。

一方、ジェフリーの双子の弟でイラストレーターのルーカスは5年間も行方不明となっていた姪っ子たちを必死に探し続けており、ついに2人を発見!姉妹の伯母ジーンとなんやかんやの親権争いの末に2人を引き取り、恋人であるアナベルとともに育てることにしたのです。姉妹には“ママ”がついて(憑いて?)きているとも知らずに……。

さあ困った!2人を引き取ったとたんに起きる怪現象の数々!家で誰かの気配がするなんて当たり前!見えない何かと遊ぶ子供たち!姉のヴィクトリアは眼鏡をはずした時何が見えているんだ!?妹リリーはどうしていつも汚れているのか!?というか今何を食ったリリー!?

 

なんていう、とってもキュートでプリティーなはずの幼女2人が、その可愛さを微塵も感じさせない不気味さ、気持ち悪さで観る者を慄かせ、ついに現れたラスボスたる“ママ”の恐怖に人は泣き叫ばずにはいられない、そんな映画  そうそれが『MAMA』なのでございます。

なお、本記事では物語の核心に触れるようなネタバレはしておりませんので、未視聴の方もどうぞご安心してお読みくださいませ。

 

正体が分からない、だから怖い

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『MAMA』の怖さは、襲ってくるお化けの姿がなかなか現れないところでしょう。

そもそもお化けなのか?もともとは人間だったのか、それとも人とはまるで違う森に棲む化け物なのか?はしゃぐ姉妹のそばに何かがいるのは確かなのに、画面から見切れていたり、障害物があって見えなかったりで正体が分からない。しかし時折、明らかに人間とは異なるような手がちらりと見えたり、不気味な低い女の声が聞こえたり……とにかくそこにいるのは確実にヤバイ見た目のヤバイ奴だと伝えてくるわけです。

また姉のヴィクトリアが極度の近視だったのもより怖さを引き立てておりました。

彼女は“ママ”と出会う直前に眼鏡を失ってしまったため、その視界はひどくぼやけていて“ママ”を見てもぼやけた黒い何かということしか分からないのです。

かく言う私もド近眼でして。眼鏡をかけていない時の不便さを思うと、5年もその状態が続いたヴィクトリアに心からの同情と共感を持ってしまいまして、でも夜景はロマンチックに見えるよなどと励ましの言葉をかけていたなんて話はどうでもよく。

とにかくぼやけたヴィクトリアの視界しか見せられないことで、観ている側はそれが何なのか断片的にしか分からず、だからこそどこまでも無限に恐ろしく想像できてしまうのです。分からないからこそ怖い、これこそが最も恐ろしいホラー演出なのかもしれません。

 

でも後半は……

しかし。それは逆に言うと、物語が進み“ママ”の正体が分かってくるにつれてだんだん怖さは半減してしまうということでもありました。

いえもちろん怖かったのです。なんといっても今回“ママ”を演じているのはホラー映画界では必要不可欠と言っていい人物、ハビエル・ボテットが演じているのですから。『REC/レック』シリーズや『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』などのお化け役として大活躍の彼は、持ち前の長い手足を駆使してそれはそれは恐ろしい姿を見せてくれました。これから観るという方は、どうぞその姿を楽しみにしていてください。

つまり“ママ”のビジュアルが怖くなかったということではなく、正体が判明したことによってある意味で安心感を得てしまったため、ちょっぴり怖くなくなってしまったと感じたのです。

先ほども書きましたが、分からないからこそ人は自分にできる精いっぱいの恐怖を想像してしまうのです。やはり人の想像力とは果てしないものなのですね。人類の発展のためには大いに結構ですが、ホラーにおいてはとんでもない恐怖演出装置となるのです。

また、詳しくは書きませんが、ラストが賛否両論分かれそうななんとも言えないかたちで終わったこともあり、『MAMA』の怖さや物語のテンポは後半に行くにつれて失速してしまったように感じたのでした。

 

……とまあ、何もかかっていないゴキブリホイホイを回収するのにも「かかってる!見えた!かかってる!」などとギャアギャア騒ぐ哀れな私ごときが偉そうなことを書きましたが、もちろん全体的にはホラーとして本当に怖面白かったのです。ホラー好きにはたまらないゾクゾク感を味わうことができました。後半は怖さというよりも、デル・トロ作品特有の切なさがより印象的だったでしょうか。

 

“お母さん”とは

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ミルキーを食べることすら怖くなってしまいそうなホラー映画『MAMA』ですが。この作品は題名の通り“母親”がテーマとなっていました。

ヴィクトリアとリリーの姉妹は、本当に幼い、リリーなんてまだ赤ちゃんの時に実の母親を失い、そのすぐ後に森の小屋に2人っきりで取り残されてしまいました。そのため二人には母親がどんなものなのかという記憶がほとんどなかったのです。

そんなかわいそうな姉妹の母となったのが謎の存在“ママ”であり、そして5年後に叔父ルーカスに引き取られてからは、ルーカスの恋人アナベルが2人の母となりました。

しかし、このアナベルはミュージシャンでありロッカーであり、かといってそこまで売れっ子というわけでもなく、お顔はパンダのごとく目の周りを真っ黒にするバッチリメイクをしているという、間違ってもまっとうな母親には見えない、そんな人物なのです。当然アナベル本人も最初は自分が母親なんて……と戸惑いますが、少しずつ、彼女たちの距離は縮まっていきます。

とはいえそんなナリのアナベルですから、親権争いに敗れた、ヴィクトリアとリリーの伯母ジーンとしては不安で仕方がないし、おそらく“ママ”自身も、「こんなのがこの子たちの母親だなんていけないわ、私が育てなくちゃ!」なんて思いながら化けて出ていたことでしょう、たぶん。

それでも、さまざまな心霊現象に見舞われたり、役立たずのルーカスがすぐにケガで入院してしまったり、ジーンにいろいろと嗅ぎまわられたりと数々の苦難を越えて、ヴィクトリアとリリーの二人はアナベルを信用するようになり、アナベルもまた2人に愛情を抱くようになるのです。

 

母親とは、なんでしょう。ロッカーで、ケバケバメイクのアナベルに、イラストレーターのルーカス。娘が結婚相手として連れてきたら世のお父さんは迷わず追い返すだろう職業の組み合わせの2人で、金銭的にも余裕がなく、それでも果たして親になれるのでしょうか。

ええ、なれるんです。愛さえあれば。

5年間も姉妹を探し続けたルーカスはもちろん、アナベルもまたともに暮らすうちに深い愛情が芽生えていきました。ルーカスとアナベルの愛は、きっとヴィクトリアとリリーの実の両親とも変わらないものになっていたでしょう。愛さえあれば、どんな困難にだって立ち向かえるのです。

 

愛さえあれば

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……さて前章でさんざんまくし立てておいて申し訳ありませんが、愛があればどんな困難だって……なんていう考えは、私からすればキレイ事の嘘っぱちでございます。

親として子供をちゃんと育てられるかどうかは、結局のところお金次第だと思いますし、その愛情が子供に正しく受け取られるか、受け取れる子供になってくれるかもきちんと考えて接しなければならないと思います。

愛は地球を救いますか?愛があってもどうにもならないことは山ほどあります。愛でゴキブリはこの世から消えますか?あの黒々とした塊が壁に張り付いているのを目撃してしまった忌々しい私の記憶は?ゴキブリホイホイにかかっていなかった、つまりまだ家の中をあのおぞましい6本の脚で闊歩しているという絶望的な事実は!?……失礼、取り乱してしまいました。

何が言いたいのかと言いますと、それはつまり。愛という不確かな感情は、決して万能ではないのです。誰もが全ての人を等しく愛することができるわけでもありません。ひとりの人間が愛を向けられる存在なんて、そう多くはないのです。みんなそれぞれ別々に愛する者があって、だからこそ争い、だからこそ絶望するのです。

そういった意味では、賛否両論分かれそうな『MAMA』のあのラストも、「大切なのは“愛だけ”ではない」ということを表現していたのかもしれません。

 

ですがしかし。この『MAMA』という物語は、そんな何の役にも立たなそうな愛が、不確かで扱うのも難しそうな愛こそが、この家族を救うのではないかという希望を持たせてくれる映画でもありました。

ロッカーにイラストレーターという子育てに縁がなさそうな2人が、まともに人間に育てられていない野性味あふれるこの姉妹を、本当に育てられるのか?

しかも伯母ジーンどころか正体不明の“ママ”とまで親権争いをしなければなりません。問題は山積みだけれど、というか問題しかないけれど、それでも。なんだかこの家族ならどうにかなりそう、だって深い愛でつながっているから。そう感じさせてくれるのです。

そう。愛で救えないものなんて山ほどあります。でも、愛が救えるものもまた、山ほどあると思うのです。

愛はあの黒い節足動物をこの世から抹殺することはできないけれど、愛することはできます。そう、愛をもって接すればたとえ家にヤツがいようとも優しく受け入れることが……ええ、どう考えても不可能ありえない生理的に無理ですが。

それでも、苦しいとき、トラウマ映像に苛まれるとき。誰かに愛されていると感じればそれらは和らぐでしょう。愛は黒い悪魔から我々を守ってはくれませんが、傷ついた心を癒してくれるのです。

現実は愛だけじゃあどうにもならない。そう諦めるのは簡単です。でも、愛するという、人に与えられた素晴らしい心の可能性を信じてみるのもいいかもしれない。アナベルたちも、困難は多いだろうけれど、それでもきっと本当の家族になれる。そんな希望を見ることができました。

 

終わりに

そんなこんなの『MAMA』でございました。

後半なんてもう、突然愛について語りだし、あまつさえ人類の嫌われ者Gの話まで持ち出してしまうという、黒歴史オブ黒歴史確定の奇行に走ってしまったわけですが(お食事中の方、大変申し訳ございませんでした)。ともかくもそれだけ愛情深い映画だったのです。まあ3か月もブログ更新を怠った愛のあの字も分からないクソ野郎のやることなので、冷ややかな目で見ていただければと思います。

まあ、そんなことはさておき。決して大絶賛!というわけではなかったのですが、ホラー映画ながら深い愛と、そして切なさを感じられる不思議な映画でございました。やっぱり誰にとってもお母さんとは特別な存在なのですね。母は強し。

 

最後に。“ママ”の愛情よりもさらに深く埋もれた、というか溺れた当記事を発見し、こんなところまで読んでくださった愛情深きそこのあなた。そんな方はそうそういません。あなたの愛が、この消しゴムのカスのような記事と、Gによって荒んだ私の心を救ってくれるのです。本当にありがとうございます。

それでは、またどこかで。

小説『オカルトちゃんねる』紹介|事件はネット掲示板で起きている

どうもこんにちは、当記事へようこそ。来てくださったことに心から感謝いたします。

今回は富士見L文庫より刊行されている小説、lpp 著『オカルトちゃんねる』の感想といいますか、紹介をさせていただきたいと思います。

まだ出版されて間もないので、あまり世に知られていない作品だろうとは思うのですが、それよりもまず最初に。

 

皆さまは「小説家になろう」というサイトをご存知でしょうか?

いわゆる“なろう小説”でございます。大手のネット小説投稿サイトでして、SNSかのようにどんな方でも、もちろんあなたも、自ら生み出した小説作品を無料で投稿し、また誰かの作品を閲覧することができます。人気が出れば書籍化され本当の意味で小説家になれちゃうかもしれない、そんな夢のあるサイトなわけでございます。

さて何を隠そう、今回の『オカルトちゃんねる』も、もともとはこちらのサイトに投稿されていた作品なのです。なのでネットで検索すれば、普通に読めます。ただ、書籍化にあたって新しいエピソードが2つ追加されていたので、なろうのほうを試しに読んでさらに気になると思ったら、本の購入を検討されるといいと思います。

 

ですがしかし。

なんだなろうかよ。と落胆したそこのあなた。ちょっと待っていただきたいのです。

ええそうです、確かになろう小説といえば、異世界転生、ゲーム的世界観、チート主人公、ハーレム……などなどのオタク感強めな要素を詰め込んだ作品がクローンのように日々大量生産され溢れかえっております。実際書籍化やさらにアニメ化された作品もそれに類するものが多く、なろう系なんていうジャンルが生まれるほどです。

もちろんそういった作品の中でも本当に面白く素晴らしい名作だってあるでしょう。ですがそうしたものは本当にごくわずかだと思います。なんたって誰でも投稿できてしまうわけですから、似たような話が腐るほどあるのです。本当にすごいと思える作品を見つけるなんていうのは、まさに砂漠の中から一本の針を探すようなもの。ネットの海に埋もれる当ブログを見つけてくださったことくらいには希少なことでございましょう。

 

しかし今回の『オカルトちゃんねる』は、それらとは一味違うわけなのです。なんといっても、小説家になろうのサイトを開いてはそれらクローン作品には目もくれず、ジャンル選択でホラーにチェックを入れ作品を検索するようなホラー好きの私がおすすめしたい『オカルトちゃんねる』は、当然ホラー小説なのでございます。

もちろん、主人公が事故にあって異世界に召喚されることはありません。

舞台は現代日本、もっと言うと、とあるネット掲示板だったりします。

 

  とまあ、詳しいことは本編にてお話しいたしましょう。またも前置きが長くなってしまったわけではございますが。とにかく、『オカルトちゃんねる』の面白さのついでに、なろうにだっていい話はあるんだぞということも伝わればなと思うわけなのです。

 

さて、重大なネタバレなどはしていないので、未読の方もどうぞご安心して、むしろ未読の方にこそ読んでいただきたいと持っておりますので、どうぞこの先もお付き合いお願いいたします。

 

舞台は2ch

『オカルトちゃんねる』の面白いところ、そしてほかの小説とはだいぶ変わっているところ。それは、文章が全てスレッド形式、すなわち某ちゃんねる風に書かれているところです。

スレッドのタイトルがあって、その下に匿名の様々な人々が日頃抱えているあれこれを書き込んでいく、古き良きネットの雑談場所とでもいいましょうか。ドラマ『電車男』で有名になったアレです。怖い話が好きで、ネット上の都市伝説やら洒落怖な話やらを読みあさっていたなんていう私のような方には、お馴染みではないかと思います。

もしお馴染みでない方で怖い話が好きだというなら、どうぞネットにはとびきり怖くて無料で読めるお話がたくさん転がっておりますので、ぜひググってみてください。良いのか悪いのかホラーとは、ヘタな小説や映画よりもよっぽど怖い名作がネット上でタダで読めてしまうという不思議なジャンルなのです。

 

さて話が少しそれてしまいましたが、とにかく本作はそういったネットの掲示板形式で書かれた、まるで実際に起きていることをリアルタイムで追っているような感覚で読める小説なのです。

物語の始まりはこう。

匿名の人々がネット上で集まり、まるで天気について話すように身の毛もよだつ怖い話を書き込んでいくオカルトスレ。やたらと心霊関係に詳しい人、自称霊感ありの人、普通に怖がる人、そんな様々な人々が議論を交わす、いつもの穏やかな掲示板に何の脈絡もなく書き込まれた“たすけて”という言葉。ざわつくスレ民、そして突如現れる“ミドリ”という謎の人物の書き込み。そこから始まる、だれも予想できなかった恐ろしい出来事の連鎖とは  !?

 

  というわけで、本作には4つのエピソードが収録されているのですが、一番最初の“地蔵峠編”というお話は結構怖めだったりします。

が、しかし。ネットのホラーは怖いなんて話をした後で書くのもあれなのですが、ぶっちゃけ、本作はそんなに怖くありません。それはなぜか。

『オカルトちゃんねる』は、もちろんお化けが出てきて結構怖めな体験をするのですが、そんな人々を助けてくれる、頼もしいヒーロー的キャラクターが毎回登場するのです。というか、その2人のヒーローが主人公の物語なのです。

その名もハンドルネーム“ミドリ”と“咬みつき”。本作では彼らがエピソードごとに交互に登場して見事お化け事件を解決してくれます。2人ともそれ系の事件解決を生業としている専門家なのですが、とてもキャラが濃くて、怖さなんて吹っ飛んでしまうことでしょう。

 

しかし、スレッド形式で物語が進むということがいまいち分からない。本当に面白いのか?なんてお思いかもしれません。

ところがどっこい、スレッド形式とホラーは本当に相性がいいのです。なんといっても、今まさに起きている心霊現象を“実況”しているかのように書くことができるのですから。例えば、「今家の前に誰かがいる」という書き込みがあれば、それに対して「え、こんな時間に!?」「怖い怖い」などのレスが続くでしょう。この“レスポンス”が意外と恐怖を引き立ててくれるのです。本当に今、日本のどこかで恐ろしいことが起きていて、自分以外にもそれを見ている人がいる、そんな気がしてしまうのです。ネット上で怖い話がたくさん生まれるのもこの相性あってこそなのでしょう。

 

というわけでこうした記述形式も『オカルトちゃんねる』の魅力だったりします。普通の小説よりも読みやすいですしね。本の暑さに比べてずいぶん短い時間で読めたように思います。普段は小説を読まないという方にも、本書はおすすめなのです。

 

ホラーだけど、ちょっぴりコメディー

上でも書きましたが、本作は最初は怖いですが、それ以降は怖さもありつつクスっとしてしまうシーンも結構あって、ホラーが苦手な方でも意外と読めたりします。実際「小説家になろう」のサイトに掲載されているほうの『オカルトちゃんねる』にも、“ホラーはだめだけどこれは読める”なんていうコメントがちらほらございます。作品の一話ごとにコメントをつけ、それを見ることができるのはネット小説のいいところですね。

 

それはそうと、一体何がそんなに面白いのかと言いますと、ミドリや咬みつきはもちろん、それぞれのエピソードで恐怖体験をして掲示板に書き込むことになる、言ってしまえば“実況役”のキャラクター達も、スレで個性豊かなレスをくれる名もなき掲示板の住人達も、みんなキャラがしっかり立っていて、お化けの怖さにも負けないくらいには笑わせてくれるのです。

まずもって、咬みつきのツンデレなくして『オカルトちゃんねる』は成り立たないでしょう。彼は生まれ持ってのツンデレ、天然記念物級のツンデレなのです。ああもツンデレを地で行く人はそういないでしょう。さらに咬みつきの霊視能力は凄まじいもので、ネットの掲示板を通して、スレに誹謗中傷を書き込む人物の情報を霊視して言い当ててしまったりします。「玉ねぎ」の一言で咬みつきの悪口を書いていた人物を黙らせてしまったのは、本当に面白かったですね。一体玉ねぎにどんな秘密があったのか、それは都市伝説の真偽のように永遠の謎でしょう。

そしてミドリは、咬みつきのツンデレほどのインパクトはございませんが、ミヅチというとても素敵な蛇の神様(になるための修行中)の相方がいらっしゃいます。もともとはれっきとした神様だったようなのですが、怖がりだったり、ネット掲示板に興味津々だったり、とってもかわいい萌えキャラなのです。スレでもミヅチ様のファンはたくさんいるので、彼が多くの人に認知され再び神になる日はきっとそう遠くないことでしょう。

 

そんな個性強めの彼らが心霊現象を解決してくれるのですから、自然と面白くなってしまうのです。怖いところと言えば、実際に霊が出るという場所に彼らが到着するまででしょうか。日本中、もしかしたら海外からも書き込んでいる人がいるかもしれない掲示板ですから、今こんな恐怖体験をしているという書き込みをした人がどこに住んでいてもおかしくないのです。ミドリはネットには公表されないかたちで住所を聞き、咬みつきは霊視して、その足で現地へと向かいます。当然時間がかかってしまうので、果たして間に合うのかやきもきしてしまう場面もございました。

また、本作で起こる心霊現象は、民俗学に基づいていたり、実際に文献などに記されている怪異だったりとリアリティーがあって、そこにも怖さがあります。

まあ、続きが気になって結局は読んでしまうのですけれども。

 

自然を敬う心

『オカルトちゃんねる』が、そんじょそこらのなろう系小説とは一味違うとお伝えしたかった一番の理由が、実はこれだったりするのですが。

ミドリと咬みつきは、オカルトだけではない、我々現代人が忘れがちな大切なことを教えてくれるのです。

 

彼らには、それぞれ“人ならざるもの”である相棒が存在します。ミドリにはミヅチ様、咬みつきには、まだ具体的には判明していませんが、それはそれは強い山の神様が。そのどちらも、人間が“自然を畏れ、敬うこと”をしなければ力を発揮できない存在なのです。だからこそ、ミドリも咬みつきも初登場した時には、神を信じ自然を敬うこと、そしてお天道様に顔向けできないようなことはしないこと、そんな小学校の道徳の授業で習いそうなことを大真面目に言うのです。

たしかに、今どき自然を敬うなんて。コンクリートジャングルに囲まれた都会に生きる方はもとより、地方だって機械化は進んでいるわけで、そうそう自然に対してじっくりものを考えることなんてないでしょう。まあ、自然の恐ろしさについては、つい先日の台風で思い知ったところではありますが。しかしそれも、あくまでも自然“現象”として認識しているのであって、そこに人智を超えた超自然的な何かがあるとまでは考えないのではないでしょうか。

もちろん、科学的に考えてそんなものは存在しないと切り捨てるのは簡単です。ですが、日本人ならではの考え方である、自然の中にはたくさんの神々が宿っていて、それらを敬う心というものは。正しいか正しくないかは抜きにして、それはとても素敵な考え方ではないでしょうか。

べつに減るもんじゃありません。日々の生活に感謝して生きる。そうすれば、明日からは世界が少しだけ変わって見えるかもしれませんよ。

それに、私たちよりもはるかはるかの大昔から存在していたものたちが、ひとつまたひとつと消えてしまうというのは、やっぱり物寂しいですからね。

 

 

というわけで、『オカルトちゃんねる』でございました。

「小説家になろう」やらネット掲示板やら、馴染みのない方にはとことん馴染みのない話ばかりで、しまいには自然を敬えだのスピリチュアルな話までしてしまい、分かりにくかったという方には大変失礼いたしました。スレッド形式の説明などちゃんとできていたのか、正直自信がございません。

ですがまあ、とにかく面白いということだけでも伝わればそれでよしとしたいと思います。

 

最後に。日々大量生産されるなろう小説よりもさらに奥深くに埋もれた当記事を見つけ、こんなところまで読んでくださったことに、あふれんばかりの感謝をささげます。
それでは、またどこかで。

『超高速!参勤交代』感想|江戸時代における武士の戦いとはマラソンであった

初めましての方は初めまして、そうでない方は、またお会いできて嬉しゅうございます。豚肉が大好きなポークと申します。

本日も徒然なるままに書き記した、映画感想日記という黒歴史を落っことしたいと思います。お付き合いいただけますとこれ幸い。わたくし小躍りしてしまうことでしょう。

 

さて早速、今回紹介させていただく映画はこちら、ドン

『超高速!参勤交代』

こちらは2014年公開の映画でございます。2016年には続編の『超高速!参勤交代 リターンズ』も公開されていますので、記憶に新しいなんて方も多いのではないでしょうか。今更ながら鑑賞いたしまして、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。

 

さて『超高速!参勤交代』、“超高速”という現代的なものを感じさせる言葉に続く、”参勤交代”。

みなさまは参勤交代をご存知でしょうか?義務教育を受けていればきっと分かるはず。さあ15文字以内で説明してください、せーの!

 

一年毎に江戸に行列で行くやつ〜(きっかり15文字)

 

……何ですかその説明は。もっと詳しく書いていただかないとさっぱり分かりませんよ。

え?15文字は無茶だって?そうでしょう、なんたって無茶を言いましたからね。

 

と、茶番はさておきしかし。多くの方は今書いたようなフワッとした内容しか覚えていないのではないでしょうか。私はそうでした、はい。

ならば説明してしんぜましょう、参勤交代とは。

 

※ここからは長ったらしい参勤交代の説明が始まります。知っとるわそんなもんボケェ!な方はどうぞ次章までスクロールお願いいたします。

今は昔の寛永12年すなわち1636年、三代将軍・徳川家光によって定められた制度のことなり。その内容は、全国津々浦々にて領地を治める大名は、一年自分の藩で暮らした後、次の一年は江戸で暮らさなければならない、つまり一年おきに国元と江戸を行き来しなければならないという、大変面倒なものでございました。「参勤」は江戸へ向かうことを、「交代」は自分の国元へ帰ることを意味します。

しかもあくどいことに、幕府は参勤交代を必ずさせるために大名の正妻と嫡男を人質として江戸に住まわせていました。

しかしなぜそんな面倒なことをしなければならなかったのか。大名への嫌がらせか、かの有名な徳川家光公は気がふれておられたのか。いえいえそんなことはありません。もちろんこの制度にもれっきとした意味がございました。

幕府には、この制度によって大名の力を抑えるという目的があったのです。

新幹線も飛行機もなかったこの時代、各地の大名が江戸へ向かう手段は当然徒歩でございました。今の北海道南西部にあたる松前藩の大名も、鹿児島県こと薩摩藩の大名も、みんな山越え谷越え海を越えテクテク歩いて江戸を目指したのです。恐ろしいことです。

当然その旅路は何十日、何か月もかかります。そう、そこが幕府の狙いだったのです。
大名行列なんて言葉があるように、大名の参勤交代ご一行はそれはそれは大人数でございました。道中の食費、宿泊費その他もろもろの出費は計り知れないものです。これが毎年行われたというのですから、当時の大名はさぞ頭を抱えたことでしょう。

悲しきかな、何をするにもまずはカネです。たとえ幕府に不満を持ち、敵は江戸城にありと謀反を企てたところで、資金がなければどうにもなりません。江戸と藩とを行き来する生活では、同志との連絡も取りにくいでしょうしね。泣く泣く従うしかありませんでした。現代社会と同じく、上司には逆らえなかったというわけです。

こうして江戸時代は平和に続いたのでした。

 

……とまあ、長々と参勤交代の説明をしてしまい失礼いたしました。日本史を猛勉強中の受験生の方などにとっては、あたり前田のクラッカーだったことでしょう。死語でしょうか。

しかし、参勤交代がどれだけ大変だったのか、あなたは本当にご存じですか?5日以内に江戸へ来いと言われ、マラソン並みに走らされるわ、刺客を差し向けられるわ、参勤交代とは本当に本当に大変で命懸けだったのです。もはやムチャぶりです。

というわけで、そんなムチャぶりを要求されてしまった小さな藩の大名と家臣たちの物語、『超特急!参勤交代』の感想に入りたいと思います。

 

そうです、忘れていたかもしれませんが、これは歴史解説ブログではありません。映画感想ブログなのです。

物語の核心に触れるようなネタバレはしておりませんので、これから観ようかな、どうしようかなという方もどうぞ安心してご覧くださいませ。

というわけでよ~うやく、本編スタートです。

 

笑って笑える楽しいコメディ!

本作のあらすじはほぼ上に書いたとおり。

時は享保20年すなわち1735年、8代将軍・徳川吉宗の治世下にて。江戸での勤めを終えて国へ帰ったばかりの佐々木蔵之介演じる湯長谷藩主・内藤政醇(ないとう まさあつ)と家臣たちは、どういうわけやら再び江戸へ参勤するようにと幕府より命じられてしまいます。しかも5日以内に。

湯長谷藩は、今でいう福島県の一部にございます。福島から徒歩で5日以内に東京へ。これを無茶といわずしてなんというのでしょう。

さあ困った。しかしやるしかない。藩で一番の知恵者である家老の相馬兼嗣(そうま かねつぐ)が知恵を絞り、抜け忍・雲隠段蔵(くもがくれ だんぞう)を用心棒として雇って、どうにかこうにか江戸へと出発する一行ですが……。

どうなる湯長谷藩!5日以内に江戸城に到着しなければ藩はお取り潰し、忠臣蔵の二の舞になりかねない!暗躍する江戸老中・松平信祝(まつだいら のぶとき)、放たれる刺客たち!深キョンとのラブロマンスもあっちゃったりして!?果たして江戸にたどり着けるのか、サライも流れる余裕ナシな超ハードマラソン参勤交代の結末は  !?

 

  なんていう、大変面白そうなストーリーなわけですが。

こちらの映画に迫力満点の剣戟、シビれる武士の生き様などを期待してはいけません。なんたってコメディ映画なのですから。言うなればなんちゃって時代劇、時代考証なんて関係ねえ、面白ければそれで良しじゃあ!です。

本作のほとんどはマラソンです。大名であるはずの政醇も家老の相馬も、そのほかの家臣たち、荒木源八郎(あらき げんぱちろう)、秋山平吾(あきやま へいご)、鈴木吉之丞(すずき よしのすけ)、増田弘忠(ますだ ひろただ)、今村清右衛門(いまむら せいえもん)の仲良しメンバーたちも、みんな走ってます。流れる汗もそのままに。

 

そんなマラソン映画が面白いのか、ただ走っているだけか。それが面白いのです。

この度の参勤交代の参加者は、なんと上に述べた政醇、相馬、家臣5人に段蔵のたった8人だけなのです。もう一人、江戸の家老・瀬川安右衛門(せがわ やすえもん)も陰で大変頑張ってくれていますが、旅に同行はしていません。

先ほども申しました通り、参勤交代は何十人何百人で行われるものです。そもそもが大名に出資させることが目的なわけですから、あまりに人数が少ないと、お上の命に逆らうたわけ者ということになってしまいます。

しかし貧乏弱小藩である湯長谷藩にはそんな資金はございません。ついこの前江戸から帰ったばかりですからね。

そんなわけで8人という人数も致し方ないわけではございますが、しょうがないねで済まないのが人の世というもの。厳しい現実にも負けず、江戸時代の孔明がごとく相馬が次々と打開策をひらめき、綱渡り状態とはいえ見事に困難を突破してゆきます。

そのひらめきがまた面白い!確かにはたから見れば立派な大名行列でも、その裏側を見るとなんとも間抜け、スカスカのハリボテなのです。

本作は、そんなギャグ要素にこそ魅力がございます。登場人物たちもみんな個性豊かで面白く、観ているうちに愛着がわいてしまうこと間違いなしです。

そんなわけで次章は湯長谷藩の参勤交代ご一行メンバーの魅力についてでございます。

 

みんないいやつ!

湯長谷藩の皆様は、お城の人々も城下の人々も、み~んないい人たちなのです。

それもこれも藩主・政醇の人の良さあってこそといいますか、農民の方々への接し方からも、ここを治める人は本当にいい人なのだということがよく伝わってきました。佐々木蔵之介が演じているというのも、まさにハマリ役だったと思います。人徳がにじみ出ておりました。

参勤交代のメンバーもみんな仲良しで、無理難題を課されているというのにキャンプか何かに来ているような、そんな明るさがあるのです。

 

個人的に好きだったのは、湯長谷の参謀こと相馬でしょうか。

彼もまたとても面白いキャラクターでした。彼を演じるは俳優の西村まさ彦、もうこの時点で相馬が魅力的な人物であることは間違いないでしょう。

彼の何が面白いって、とにかく周りの人々の彼に対する扱いがひどいのです。もはや“困ったときは相馬”がお決まりであるように、みんな窮地に立つと「相馬、知恵を出せ」と彼に迫ります。さながら「ドラえも~ん!!」です。5日以内に江戸へ来いというのも相当なムチャぶりですが、相馬への要求もなかなかに無茶でしょう。もうキレてもいいよ、あんたは十分頑張ったと言いたくなってしまいましたが、相馬にとって忍耐は知恵と同じくらい得意なことだったようです。理不尽な要求にも、彼は泣きそうになりながらもなんとか機転を利かせ、見事仲間とピンチを切り抜けるのですからすごい。それでどうにかなるんかいとツッコミをいれたくなる場面もありましたが、そのゆるさがこの映画にはとても合っていると思いました。

落ち武者になるシーンにも大変笑わせていただきましたよええ。

 

また秋山平吾役を演じた上地雄輔の役者としての顔は、今更ながら初めて拝見したのですが、彼の多才さには驚かされました。意外にも武士の役が似合うこと。おバカタレントなんて言われている彼が、冷静沈着な人物を演じるなんて。はじめこそ違和感がありましたが、観ているうちに“上地雄輔”ではなく“秋山平吾”に変わっていったのだからすごいことです。役者としての彼の今後にも注目ですね。

 

そして湯長谷藩のメンバーではありませんが、陰の立役者である瀬川安右衛門。ある意味彼が本当のMVPなのではないかと思っております。

江戸の家老であるはずの彼がどうしてそこまでしてくれるんだというほど、陰で頑張ってくれました。大名行列を作るために各地を奔走し、人を集めてくれたのです。瀬川殿の存在がなければ、今回の参勤交代が成功することはなかったでしょう。

 

チャンバラだって負けてない

『超高速!参勤交代』は時代劇らしさなど関係ねえ!な面白コメディ映画ですが、だからと言ってチャンバラシーンに見る価値なしなんてことは決してございません。

なかでも佐々木蔵之介さんは武士として話すだけでなく立ち振る舞いの演技も完璧でした。政醇はほんわかとしたお人よしに見えて、実は抜刀術の達人だったりします。これがギャップ萌えというやつでしょうか、深キョンこと深田恭子演じるツンデレお咲さんもこれでデレたといっても過言ではありません。彼女だけでなく政醇の見事な剣さばきは、この作品を観た多くの乙女たちの心を奪ったことでしょう。

 

もちろん政醇だけではありません。なんだかんだチャンバラ劇も観ていてとても楽しめました。確かに人が屋根から飛び降りたりするシーンは吊られてる感満載だったり、そんな風に人が持ち上がるかいなんてツッコミどころももちろんありましたが。でもやっぱりかっこいいのです。湯長谷藩のメンバーが魅力的なだけに、彼らが大人数を相手に切った張ったの大立ち回りをするシーンなどはやっぱり興奮しました。

 

 

そんなわけで本当に楽しいエンターテイメント映画でございました。

参勤交代の説明などをやりだしたばっかりに、今までになく長い記事になってしまいましたが、今日を頑張る受験生の方々の腹の足しにでもなればいいなあなどと思っている次第です。もっとも、わたくし日本史はからっきしなので本当に役に立つのかは疑問ですが。

しかし、時には息抜きも必要です。受験生の方はもちろん、仕事で失敗してしまった、美容室でなりたい髪型になれなかった、広瀬すずみたいなショートヘアになろうなんてそもそも骨格からして無理だった。そんなつらい思いをしたとき。『超特急!参勤交代』はきっとあなたを笑顔にしてくれるでしょう。5日以内に徒歩で福島から東京へだって行けるのです。人間その気になればなんだってできるものなのでしょう。

 

最後に。こんなつたない駆け出しブログの記事を見つけ、素晴らしき集中力と相馬のような忍耐力をもってこんなところまで読んでくださった素敵なあなた。心の底から感謝しております。あなたがとんでもないムチャぶりをされてしまった時、令和の孔明がごときひらめきで楽しく困難を乗り越えられますように。

それでは、またどこかで。

『おとなの事情』感想|月夜に起きた不思議でえげつない出来事

突然ですが、クイズです。

いつもあなたのすぐそばにいて、あなたのことなら何でも知っています。あなたの連絡先はもちろん、人によっては性癖や悩み、趣味、人間関係、今朝何を食べたか、体重、カラオケの十八番、はたまた銀行の口座番号や貯金額、住所まで何でも。

さて何でしょう?

 

 

 

 

 

最大のヒント。これも人によりけりですが、今、あなたの目の前にあるものですよ。

 

 

 

 

 

 

 

……もうお分かりですね。隠すまでもないでしょう。

そう、スマートフォンです。

今現在スマホでこの記事を見ているなんて方もいらっしゃるでしょう。ありがとうございます。もちろんパソコンからの方へも降りそそぐような感謝を。

 

さて、そんなスマートフォン。この薄っぺらい小さな板きれに、あなたはどれだけの秘密を知られているでしょうか。

秘密を知られている?まるでスマホに弱みを握られているような言い方じゃないか。そんな馬鹿なことがあるか。……そうお思いですか?

あなたが遠くにいる誰かと会話をするとき。暇つぶしのゲームをするとき。ネットで買い物をするとき。出先で調べ物をするとき。動画を見るとき。ニュースや電子書籍、そしてブログを読むとき……

これらすべての行為を、スマホを通して行っているのです。あなたのスマホが見ているあなたの日常、趣味嗜好は、4Kテレビよりもさぞやハッキリクッキリ鮮明に手に取るように分かってしまうことでしょう。スマホ、それはまさにブラックボックス。あなたのことなら、他人に知られたくないことも、あなた自身分かっていないことでさえ、何でも知っているのです。

なに、恐れることはありません。なぜならスマホにはしっかりとロック機能がありますし、セキュリティーだってアメリカ大統領のSPばりにしっかり守ってくれることでしょう。何かしらの怪しげなメールのURLや画像をクリックしたりしなければ、あなたの大切な情報が抜き取られることはありません。

そう、みずから誰かにスマホを“見せる”なんことをしない限りは。

 

……ええ、いたんです。スマホに来たメッセージを互いに見せ合うという、禁忌といっても過言ではないスリリング・オブ・スリリングなゲームを行ってしまった人々が。

というわけで、今回はそんなおバカをやってしまった人々を描いたイタリア映画、『おとなの事情』の感想を書かせていただきたいと思います。

 

お、おとなの事情だなんて……!そ、そそそんな破廉恥な!しかもイタリア……いったいスマホにどんなけしからんアレコレが……

なんて誤解を招きそうな題名ですが、実はこれコメディ映画です。R指定もございません、多感な青少年の皆様も安心してご鑑賞ください。逆にこの映画とはまったく別物の、そっちの意味で「オトナの事情」と検索してここに来てしまったそこのあなた。残念、ここにえろはありません。

とはいっても、破廉恥とは違った意味で青少年の方々には見てほしくない、まさにおとなの事情が生々しく描かれた映画なのですが……。

 

さてさて前フリも十分なことですし、さっそく本編参りましょう。

今回も物語の核心に迫るようなネタバレはしておりませんので、未視聴の方もどうぞ最後までお付き合いいただけますと、大変嬉しゅうございます。

 

コメ……ディ?

こんなに月が蒼い夜は、不思議なことが起きるかもしれません。いえ蒼いというか月食の夜のことです。

ロッコとエヴァ夫妻は、仲良しのレレ、カルロッタ、コジモ、ビアンカ、ペッペを家に招き、月食を見ながらの食事会を開きました。レレとカルロッタ、コジモとビアンカはそれぞれ夫婦で、ペッペはバツイチです。ペッペ……強く生きろよ……とお思いかもしれませんが、今はペッペにも新たな恋人がいるので大丈夫、彼もまたリア充です。

しかし、そんな選ばれし7人の食事会が、穏やかに過ぎていくことはありませんでした。

事の発端はエヴァの一言。ねえ、ゲームをしましょう、と。

この食事会の間に来たメール、電話をその場の全員に公開しようというのです。

いくら仲のいい友達といっても、電話やメールの内容を見せるのには抵抗があるものでしょう。しかしその夜、彼らはそのゲームに賛同してしまうのです。なんといっても月食の夜の出来事、月の不思議な魔力で何が起きてもおかしくはない……そんな気がしてきませんか?

さてさっそくゲームを始めた男女7人。はじめのうちは何気ない知り合いからの連絡が来たりして、楽しいムードのまま進みます。ところがそのまま終わらないのがこのお話がお話たるゆえん。だんだんとあんな相手やこんな相手からとんでもないメッセージが来ちゃって、あいつの秘密やこいつの秘密が暴露されていく……!

うそ、彼にあんな隠し事があったなんて!彼女ホントはそんなだったの!?やだもう、みんな仲のいいふりして秘密ばっかりじゃない!!

  ちょっと待って!……今鳴ってるの、私のスマホじゃない!?
い、いったい誰から!?……まさか、あの人からじゃないでしょうね  !?

 

  なんていう、“おもしろおかしき”コメディ映画なのですが。

え……いや、これがコメディ?となること間違いなしです。

確かに面白いですよ、前半は。浮気相手から連絡がきたと見せかけて、実はふざけているだけだったり。はたまたちょっとした秘密がばれそうになって必死にごまかしたり。

そんな姿にはくすっとさせられて、さあ今度はどんな隠し事が白日の下にさらされるんだ!?なんて期待を抱かせてくれました。しかしそれも、ゲラゲラと大笑いしてしまうほどの面白さではないのです。

 これでコメディというには、ちょっと物足りない。後半でもっと面白くなるのか……?と思った矢先のことです。

中盤で、とある人物のとある事実が明らかになったあたりからでしょうか。物語はどんどん笑えなくなってゆきます。

発覚した事実が衝撃的過ぎて、ドン引いてる登場人物たちの空気感がありありと伝わってくるのです。そのあとはもうシャレにならない秘密の暴露大会、たった数時間の間に核弾頭レベルの激ヤバメッセージがこうも届くのかというツッコミはさておき、まあみなさんそれぞれに危険度マックスな秘密を抱えておられたものです。最後なんてもうエグイのなんの……。

 

とにもかくにも、コメディ映画のつもりで観るものではございませんでした。本当に。

ここまで読んでネタバレだと感じた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。ですが、今は気分が落ち込んでしょうがない、そうだコメディ映画でも観よう!なんて軽い気持ちでこの映画を観てしまおうものなら目も当てられない、さらに憂鬱、胃もたれすること山のごとしです。そんな私のような方を少しでも減らすためにも、コメディはコメディでもヘビーでブラックなコメディであることをお伝えしておきたかった次第です。

 

でもいい映画

とはいえ、決してつまらない映画だったというわけではございません。確かに笑いを求めてこの映画を観るとひどい目にあいますが。

しかし、人間の隠された醜い部分を暴き出すストーリー構成はお見事!の一言に尽きますし、ラストも“月食”だからこそなせるセンスある終わり方だったと思います。観た後に、「コメディのはずがとんでもないものを観てしまった」「なんて重たいんだ」と感じるということは、それだけこの作品に引き込まれてしまったということでしょう。こういった良さはイタリア映画ならではでしょうか。

それに、すべてを知ったうえでまた最初から見返してみると、新たに見えてくるものがあるかもしれません。何度嚙んでも味が出るスルメのような映画です。

 

人間ドラマとして観るのなら、この作品は大変素晴らしく、観た者の心に何かしら光るものを残していくことでしょう。メンタルが健康な時であれば、ぜひお勧めしたい映画でございました。

 

秘密は秘密のままに

何はともあれ、やっぱり世の中には知らないほうが幸せでいられることがあるとよく分かりました。スマホのメッセージを見せ合うだなんて愚の骨頂、隠しておくほうが人は平穏に暮らせるのですね。

実は私、以前『Mr.&Mrs. スミス』という映画の感想を書かせていただいたときに、冗談のつもりで「秘密なしに人は生きていけない」なんてことを書きました。

あの時は適当にそれらしく書いただけだったのですが、こうしてみると案外人というものの本質をついていたのかもしれません。

また面白いことに『おとなの事情』も『Mr.&Mrs. スミス』も夫婦が重要な人物として登場する物語なのです。“夫婦”と“秘密”は切っても切り離せない関係なのかもしれませんねえ。

“おとなの事情”とは、実に厄介なものです。

 

 

というわけで、『おとなの事情』レビューでございました。

親しき仲にも隠し事あり。皮肉なことですが、案外それが大人同士のある意味健全な付き合い方なのかもしれません。歳の数だけ秘密は増えてゆくものなのでしょう。

そう思ったと同時に、現在の私たちはこうもスマホに依存した日々を過ごしているのだなあと改めて驚かされました。『おとなの事情』で見せ合ったのはスマホの通話とメールのみでしたが、もしもその他のSNSやらアプリやらも含めて行ったら。映画の中の彼らだけではなく、私たちにもあまり人には知られたくないことが一つや二つ隠されているのではないでしょうか。

いやはや、スマートフォンのおかげで我々の生活ははるかに便利になりました。しかし、破滅をもたらすのもまたスマートフォンなのかもしれませんね……。

信じるか信じないかは、あなた次第。なんちって。

 

最後に。おとなの事情と同じくらい複雑怪奇なインターネットの中で、ひと晩置きっぱなしにしたコップの底にわずかに落ちたホコリのような当ブログを発見し、こんな最果ての地まで読んでくださったあなたへ、大きな大きな感謝をささげます。

あなたのシャレにならない秘密が、決してバレることがありませんように。

それでは、またどこかで。

『300〈スリーハンドレッド〉』感想|男たちの熱き戦いと筋肉を目撃せよ

戦じゃあ!!血沸き肉躍るアドレナリンどばどば筋肉もりもりバトルじゃあ!!!

祖国がため!妻がため、我が子がため!つはものども走れぇ!!その鍛えぬかれた四肢をもってして、侵略者どもに知らしめるがいい!!その強さを!その誇りを!その魅惑の筋肉ボディを!!

忘れるな!己が何者であるかを!

思い出せ!盛り上がった鋼のごとき大胸筋に隠れた気高き心を!

血風を切り裂き、己が敵の心に刻み込め!愚かな奴らが一体何を敵に回してしまったのか、その尊き自由なる者どもの名を!!

スパルタクス!!!

 

……おっと、これは失礼いたしました。まだまだ冷めやらぬ興奮がつい出てきてしまいましたね。

決して気が狂ったのではありませんので、どうぞご安心を。

 

いつの時代も、戦いとは人をアツくさせるものです。

なにも武器を持ち敵を倒すことだけが戦いではありません。平和な現代日本に住む我々もまた、いつだって戦っているのです。

 

例えば、終わらない仕事。上司の嫌味。月曜日。どう頑張っても眠くなってしまう物理の授業。痩せたいというのに誘惑してくるコンビニスイーツたち。

言い出せばきりがありません。それらすべてと、我々は戦っているのです。人生という長い長い戦いです。

そう、誇りを持ってください。あなたは戦士なのです。ウォーリアーです。

時にくじけ、足をすくわれ、果てしなく続く険しい道に呆然と立ち尽くすこともあるでしょう。それでも戦わなければなりません。未来に輝く希望のために。

希望。それは、長く苦しい作業を越え仕事を完遂し、上司を見返した瞬間であり。睡魔に負けず勉強に励み、テストで高得点を取った瞬間であり。つらいダイエットが実を結び、理想のスレンダーボディーを手に入れた瞬間でもあります。

時には仲間もできるでしょう。家族という安らぎを得るかもしれません。そしてまた新たな戦いが始まるのです。人生はそうして続きます。

最後の最後に、自分が今まで歩んできた戦いの軌跡を振り返った時。あまりに多くの苦難、そして喜びがあったことを知り、あなたはきっと満足することでしょう。

 

さて話の終着点が見えなくなってきたところで、この意味の分からない人生談は終わりにしたいと思います。またも関係のない話をだらだらと書いてしまい申し訳ありません。どうぞ忘れてください。今回は別の本題があるのですから。

 

というわけで、この度感想を書かせていただく映画はこちら、ドン

『300〈スリーハンドレッド〉』

スリーハンドレッド。この数字はいったいどんな意味を表しているのか。

300匹わんちゃん?秒速300センチメートル?300人の侍?いいえ違います。

何を隠そう、一見膨大に感じたるこの数字は。100万という圧倒的な数の兵士を有する超巨大帝国であり、しかし自由なき奴隷国家でもあるペルシア帝国に挑んでいった、あまりに無謀、そしてあまりに勇敢なスパルタの戦士たちの人数なのです。

 

スパルタ。スパルタ教育なんていう言葉の語源となった、古代ギリシアの都市のことです。

世界史が好き、もしくは絶賛受験勉強中の方ならご存じでしょうか。紀元前500年~紀元前449年ごろにかけて起きたペルシア戦争。中でも、スパルタ軍わずか300人を主体としたギリシア軍が、圧倒的不利の中ペルシア軍を3日間も食い止めたといわれる前480年に起きた(諸説あり)テルモピュライ戦い。本作は、この戦いを描いた物語なのです。

とはいえ、小難しい歴史の知識がなくても十分楽しめるのが『300〈スリーハンドレッド〉』。まったくの史実通りというよりは、若干手が加わってエンターテイメントに仕上がっています。

たった300人の男たちが、100万の軍勢を相手にまさに孤軍奮闘、肉体と肉体がぶつかり合うその迫力に、きっとあなたは酔いしれることでしょう。

 

しかし一つ注意点がございます。本作はR15+指定作品。血が噴き出せば首も飛びます。15歳未満の方、およびこうしたグロいエグいシーンが苦手な方にも、残念ながらこちらの映画はお勧めできません。若干のエロもあるのでそっち方面も要注意です。そっとこの記事を閉じましょう。

そうでない方は、引き続きよろしくお願いいたします。

 

さて、そしてネタバレに関しまして。当作品は歴史的事実を描いた物語なので、結末をご存じの方もたくさんいらっしゃることでしょう。しかし、こちらではその結末に関しては触れないように書きたいと思いますので、ご存じないという方もどうぞご安心くださいませ。

さあ、前置きもここまで長くなるともはや前置きとは言えなくなる気もしますが、ようやく本編スタートでございます。

 

すべてが美しい

『300〈スリーハンドレッド〉』のすごいところは、なんといってもその映像美でしょう。とにかく画面に映る人物といい背景といい、すべてが美しいのです。

主人公レオニダス王率いるスパルタ軍は、どいつもこいつもマッチョです。戦士として生まれ、幼いころから厳しい訓練に耐えてきた彼らの肉体美は、ボディビル選手権チャンピオンにだって引けを取りません。全員シックスパックです。

さらにそれだけではありません。戦士の皆様はお肌ツルッツルなのです。欧米の方々ですから、豊かな胸毛やらギャランドゥやらが生えていてしかるべきと思うのですが、彼らのボディーはまっさらなのです。思えばボディビルの方々もムダ毛処理はしっかりされているイメージがありますね。やはり彼らはボディビル選手権に……というよりも、とにかく見た目の美しさにこだわったという印象を受けます。まさにギリシャ彫刻といったところでしょうか。

全員パンツ一丁にマント姿だというのに美しさを感じてしまうくらいには、彼らの肉体はとても美しいものでしたからね。筋肉万歳。

 

そして、敵の姿にもある意味造形美がありました。

まったく、ペルシア人をなんだと思っているんだというくらいには、なかなかクリーチャーな敵が登場するのです。数メートルはあるんじゃなかろうかというほど巨大だったり、歯がサメのようにとがっていたり、腕がのこぎりのようになっていたり……。もはやビックリサーカス、ペルシア軍は実に個性豊かです。さすがはあまたの国、民族を飲み込んできた巨大帝国。ちゃっかりどこかのファンタジーな異世界も征服していたのでしょうか。

ともあれ、確実にフィクションであろうクリーチャーたちですが、彼らもまたこの映画の世界観にいい味を出してくれているのです。醜いけれど、どこか美を感じる、そんな造形でした。

 

アジアは宿敵

※申し訳ありません、こちらの章は小難しい世界史の話を書いてしまっています。歴史知らなくてもいいんじゃなかったのかよ、興味ねーんだよ、なんて方は、どうぞ読み飛ばしてください。

 

かつてのキリスト教の考え方で、ヨーロッパは貧しいが清らか、アジアは豊かだが腐敗している、といった考え方があったそうです。

今でこそヨーロッパは進んでいて、アジアは遅れているなんてイメージがありますが。近代以前、古代ではペルシア帝国だったり、その後の時代はイスラームが勢力を誇っていたりと、ヨーロッパにとってアジア、特に西アジアや中国あたりは決して侮れない敵だったのです。なんならアジアのほうが文化的に進んでいたかもしれません。アジア人としては大変誇らしいことですね。まあ日本はアジア関係なく近代までだいぶ遅れていましたが。ペルシア戦争の時なんて日本はまだ弥生時代でしたからね。

それはさておき。先述の通りヨーロッパにとってアジア=ライバルという認識があったため、アジアは強敵だが異教徒だ、堕落しているなんて考え方が生まれたのでしょう。

そういった意味では、化け物じみた姿のペルシア軍が登場する『300〈スリーハンドレッド〉』は、こうした歴史的にヨーロッパがアジアに対して抱いていた意識を見事に視覚化した映画とも言えます。

しかしまあ、実在するペルシア系の方々がこれを観たらどう思うだろうとは感じてしまいましたが。

 

……なんていう、やたらと歴史についてべらべら語ってしまい大変失礼いたしました。急にどうしたんだとお思いでしょう。これでも学生時代は歴史を学んでいたもので、つい語りたくなってしまったのです。知ったかぶりのたわ言と聞き流してくださいませ。

 

自由とは

作中のペルシア軍を見ていてもう一つ思ってしまったことがあります

この物語は、レオニダス率いるスパルタ軍が、彼らの祖国を服従させようとするペルシア帝国から自由を守るため戦うというストーリーです。劇中でもレオニダスはペルシア王クセルクセスに対して自分たちは自由であると言っていました。

しかし、両軍をよく見てみるとどうでしょう。

スパルタ軍は、端から端までみんなマッチョです。綺麗にムダ毛処理されたギリシア彫刻のごとき肉体美です。服装も同じ、首から下を見ただけでは人物の区別はつかないでしょう。

 

……はたして、それを自由といえるのでしょうか。

確かに彼らは何者にも服従しない、ひざまずかない、そんな信念を持って戦います。しかしあまりにも筋肉至上主義なのです。彼らは戦士しか認めません。スパルタはその名の通り自分にも厳しいのです。物語冒頭で、スパルタでは体の弱い者、不自由な者は赤ん坊のうちに捨てられるという描写がありました。むごいことですが、歴史的にも本当にそういうことはあったかもしれません。しかし、そこに自由という言葉を当てはめるのは違うように感じてしまいました。

 

かたやペルシア軍は、先ほど書いた通り大変個性に富んでいます。それはそうでしょう、ペルシア帝国が今まで征服してきた様々な国の兵士たちが寄り集まった、いわば連合軍のようなものなのですから。様々な国の鎧や服をまとい、武器や戦法も様々でした。

ペルシアは、国の征服はしてもその国の文化までは奪わなかったのです。これを自由と言わずしてなんと言うのでしょう。

そう、多様性です。様々な国の様々な文化、宗教を受け入れるということ。グローバル化が叫ばれる昨今の地球には、まさにふさわしい姿ではないでしょうか。

 

などというように、若干オーバー気味に書きましたが、そんな風に感じてしまったのでした。自分がアジアの極東に暮らすゆえに、少しペルシアに肩入れしてしまったかもしれませんが。しかしあまりにもペルシア軍がおぞましい姿で描かれていたもので、ちょっとかわいそうになってしまったのです。彼らだって同じ人間だろうに。

 

 

そんなこんなで、ずいぶん長々と書いてしまいました。

最後は批判っぽくなってしまいましたが、それを差し引いても余りあるくらいには面白き映画でございました。決して観て損はないと思います。
なんといってもあの美しいマッチョ姿を目撃せずにおくのはもったいないですからね。

 

最後に。いつになく長い前置き、長い本編、突然始まる歴史トークにめげることなく、地動説を唱え続けたガリレオがごとき執念を持ってここまで読んでくださったあなた様への感謝たるや。海よりも深く山よりも高い、いえ、大気圏を突破する勢いでございます。

闘うあなたの唄を、闘わない奴等が笑うかもしれません。それでも頑張るあなたの姿はとても美しいと思います。ファイト。

それでは、またどこかで。

『ライオン・キング』感想|アフリカの風を感じました

ナァ~~チフェンニャァ~マバディ~チババ~(適当)


どうも、はじめましてこんにちは。太陽が東から昇るがごとく、這いのぼってまいりましたポークでございます。


公開からかなり経った頃でしたが、劇場にて映画『ライオン・キング』を見てまいりました。

幸いまだ上映は続いているようですので、まだ観ていないという方もまだ間に合う!観ずに後悔より観て後悔、さあ劇場へGO! でございます。賛否両論あるようですが、決して観て損はない作品であると思います。

 

……なんてことを言っておきながら、実はわたくし、恥知らずなことにアニメ版は未視聴でございます。実写だけで知った気になって感想を書こうなんていうふてぇ野郎ですが、どうかご容赦くださいませ。

アニメを見ていないからこそ、見えてくることもきっとあるでしょう。知らないからこそ、ありのままを受け入れられる。そんな生まれたてのヒヨコのように純粋な心で書いていきたいと思います。

なおネタバレについてですが、物語の核心に触れるような記述は避けておりますので、まだ観たことがないという方もどうぞご安心ください。

 

映像すごい、というかドキュメンタリー

果たしてこれは本当にフィクションなのか?

どこぞの国のクルーたちがサバンナに張り込んで、実は動物も人語を話すという衝撃的事実を隠し撮りしたのだろう。

いやいや、何かしらギリギリ合法な薬か何かを使って動物たちを調教して演じさせたに違いない。

いいや違うね、これはディズニーの陰謀だ。人間の脳を動物に移植して操るという、壮大な人類わんにゃんパニック化計画だ。ディズニーならやりかねん。

 

なんていう動物愛護団体も真っ青な妄想をしてしまうくらいには、あまりにもリアルなフルCG映画でした。

風に揺れる毛並みや、動物たちそれぞれの動きやしぐさも、現実そのものでした。もはやドキュメンタリー映画です。いつダーウィンが来てしまうかとひやひやしました。

 

それもそのはず。本作は2016年公開の実写版『ジャングル・ブック』を手掛けたジョン・ファヴロー氏が本作でも監督を務めているのです。『ジャングル・ブック』もまた「動物って演技できるんじゃん」と錯覚するほどの末恐ろしい映像技術でしたが、今回の『ライオン・キング』でそれは完成されたと言っても良いのではないでしょうか。フルCG映画だというのに、"実写化"と言われるのもうなずけるというものです。

 

ところがどっこい。CGCGと言っておきながら、実は実際にサバンナで撮影された本当の実写シーンが一つだけ存在するそうです。

みんな、気づいたかな★というジョン・ファヴロー監督の茶目っ気なのだとか。

ちなみに私は全く気づきませんでしたね。というか実写がワンシーンしかないことのほうが驚きです。そもそも気づいた方は存在するのでしょうか。なんならすべてが本物の映像と言われても、私なら騙される自信があります。

さて、おそらく誰も分からないと思いますので言ってしまいますが、その映像は一番初めの冒頭の部分なのだとか。しかしまあ、そう教えられてもピンとこないくらいには、全編通してリアル・サバンナでした。

まだ観たことがない、これから観るぞという方は、そんな部分にも注目しつつ視聴してみることをお勧めします。

 

表情につきまして

しかし、このように執念を感じるレベルでリアルさを追求した結果、キャラクターたちの表情が失われてしまったなんて声も多々ございました。

私はアニメ版を見ておらず『ライオン・キング』自体はじめまして状態だったので、そういうものとしてそれなりに受け入れることはできました。しかしアニメ版を見た後だと、デフォルメされ目も口も眉も縦横無尽に動き感情丸出しにしていた彼らが、能面のようになってしまったと感じるのも無理はないように思います。

 

主人公シンバとヒロインのナラが感動の再会をしてじゃれ合うシーンなんか、そのまま交尾が始まっても違和感ありませんでしたからね。男女のムードをリアル・ライオンから感じ取ろうなんて、どだい無理なのです。よほどマニアック中のマニアックな趣味をお持ちでない限りは、互いに異性を意識し合う野生のライオンを見てロマンティックを感じる方はそうそういないでしょう。“発情”という言葉のほうがしっくりきます。

 

なのでまあ、『ライオン・キング』に限ってはアニメと実写を切り離して観るべきなのだろうと思いました。

実写版『ライオン・キング』は、とにかく何よりもリアルさを追求した映画なのです。その結果、動物たちの表情や個性が死んでしまっても、それでも“本物”を表現したかったのでしょう。アニメ版とはそもそも目指しているものが違うのです。これはもはや観客が楽しむかどうかよりも、どこまで完璧にできるかを目指した作品であるように思いました。

逆にあそこまでリアルな動物たちが、ありえないくらい口角を釣り上げて目をかっぴらいて歌いだしたら、それはもうホラー映画になってしまいますしね。

 

といったように、私は原作を観ておらず無知で能天気なゆえに、まあまあ肯定的にとらえることができました。

もちろん、だからと言ってすでにファンがたくさんいる『ライオン・キング』でそれをやるなよ、新しく作った全く別の物語でその圧倒的技術を見せてくれよという気持ちもあります。未視聴なのでなんとも言えませんが、アニメ版であれば得られただろう感動やトキメキを、実写版では感じられなかったのでしょう。

 

それでも本作の素晴らしい映像は、評価されるべきだと思うのです。

キャラクターたちに感情移入できなかった、シンバとナラの再会シーンやラストに涙できなかった、確かにそれは思いました。

しかし、映画が始まってすぐのことです。様々な動物たちが本物さながらの姿や動きで生き生きとサバンナを闊歩する様を見て、私は心から感動しました。ちょっと涙ぐんだくらいです。特に私の大好きなネズミっぽい小動物さんがせかせかと走るシーンなんか、仕草はリアルだしかわいいしで興奮のあまり心臓が止まりそうになりました。もっとも、その直後のシーンで本当に止まったと思います、心臓。

それは置いておいてとにかく、一人の人間に心臓止まったと思わせるくらいには感動する映像だったということです。人類の技術進歩に感謝。

 

とはいえ、これを機にアニメ版のほうも観たくなってしまったので、アニメ視聴後に意見が180度変わる可能性も十分ございます。実写化ふざけんなアニメ最高人類の宝じゃ~などとほざき出すかもしれません。ですのでここまでの意見というのもおこがましい駄文は忘却していただいて大丈夫です。

 

ハクナ・マタタ

本作でそれはそれは観る者を楽しませてくれた仲良しコンビ、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァが大好きになりました。

彼らは落ち込むシンバを励まし、とある素敵な言葉を教えてくれます。

それは「ハクナ・マタタ」。

スワヒリ語で「心配ない」「どうにかなるさ」といった意味があります。

沖縄の方言「なんくるないさー」やスペイン語の「ケセラセラ」と同じような意味でしょうか。世界各地で似たニュアンスの言葉があるというのは興味深いことです。

 

さてこの「ハクナ・マタタ」、なんだか大人になって観たほうが染みる言葉ですね。

お金、容姿、人間関係、最近髪の毛が薄くなってきた。現代の大人は何かと思い悩んでばかりです。

そんなときは思い出してください、「ハクナ・マタタ」を。

心配ありません、どうにかなります。人間そんなヤワじゃありません。髪が薄くたって大丈夫、慣れます。下手に隠そうとせずに、思い切ってスキンヘッドにしてしまえばいいのです。男らしくてかっこいいですよ、きっと。責任は取りませんけれど。

 

とにかく、悩みに悩んで辛い、苦しい、もうだめだと思ったときは、「ハクナ・マタタ」です。結局のところは気の持ちようなのでしょう。

そして、森で暮らす素敵な仲良しコンビも思い出してあげてください。きっとティモンとプンバァなら、シンバと同じようにあなたも楽しく励ましてくれることでしょう。

 

 

そんなこんなで、『ライオン・キング』感想でございました。

いろいろ書きましたが、やっぱり原作を観てから視聴したほうがよかったような気もします。シーンの一つ一つにも感じることがあったでしょう。

それでも、遠くサバンナの地を吹き抜ける風を感じられるような、そんな素晴らしい体験をさせていただきました。ありがとう『ライオン・キング』。

 

最後に。この不況のなか老後の年金も危ぶまれ、仕事に学業に家事に育児に忙しい日々を送りながらも、このような道端に転がる石ころのごとき当記事を最後まで読んでくださったあなた。本当に本当にありがとうございました。皆様がハクナ・マタタとともにあらんことを。

それでは、またどこかで。

『ブラック・スワン』感想|苦悩と妄想の果てにあるものとは

皆様こんにちは、初めましての方は初めまして、ポークと申します。

今日も今日とて元気に映画の感想をつらつら書きなぐりたいと思います。

今回の映画はズバリこちら、ドン

『ブラック・スワン』

と~っても怖かったです。元気とか出ません。疲労感と、すごいものを観てしまった感にさいなまれる怖すごい映画でございました。

 

まずはじめにバレエが好きな方、今現在バレエを習っている方に申し上げたいことがございます。果たしてこの条件に該当する方がどれだけこの駄文を見てくださっているのかは分かりませんがとにかく。

絶対に、この映画を観ないでください。いえフリじゃなく。プロのバレリーナを目指している方なんてもってのほかです。これはバレエの美しさを楽しむ映画ではございません。軽い気持ちで観てしまったら最後、バレエの世界に行きたくなくなること間違いなし山のごとしでございます。

もしそういった方ですでに観てしまったというのでしたら、仕方ありません。きっとバレエの世界はこの映画のようなことだけではないはずです。素晴らしいこともあるはず、あなたの夢を応援しております。

 

話が脱線しましたが、それだけ怖かったということです。「ダークな雰囲気ではあるけれど、そこまでホラーではないだろうダイジョブダイジョブ」と思っていたのですが、まったくジャンルはしっかり調べないといけませんね。まあホラーは大好きなので何ら問題はありませんでしたが。

さてネタバレについてですが、後半に物語のラストに触れる部分があるので、未視聴の方は途中までにとどめておいたほうがよいでしょう。

相変わらず長~い前置きでしたが、ようやく本編スタートです。

 

妄想と現実のはざま

バレリーナのニナは、今度の舞台「白鳥の湖」で主人公の白鳥と、王子を惑わす黒い鳥、ブラック・スワンの二つの役を務めることになります。白鳥は完璧でもブラック・スワンの王子を誘惑するセクシーさが表現できないニナは、プレッシャーに苦しむことになります。過保護すぎる母親の存在や同じバレエ団のバレリーナ・リリーに主役を奪われるのではないかという疑心暗鬼にさらに悩みに悩む中、ついには幻覚を見るようになってしまいます。何が幻で何が真実なのか。妄想と現実のはざまで、果たしてニナは無事「白鳥の湖」を演じ切ることができるのか  !?乞うご期待!!

 

  といったストーリーなのですが。

とにかくニナの見る幻覚が怖いのです。怖いし痛い。指のささくれをはがしていくなんていう、そんな見ているだけで痛いやつです。苦手な方は要注意の上、薄目で観ましょう。

また男を誘惑するような演技を求められていたからか、やたらとえっちぃ幻覚も登場します。実際日本ではR15+指定での公開となっていたので、健全な青少年の皆様は注意が必要でしょう。

とはいえそれらが妄想だったとわかったときの恐怖もなかなかのものでした。結局全部ひとりよがりだったわけですからね、文字通りの。なんといいますかこう、プライバシーの極致ともいうべきそういった行為の記憶すらあやふやになってしまったらもう、自分を形成する根本的なものが崩れてしまいそうじゃないですか。

そんな感じで本作は日常が徐々に幻覚に浸食されていく様が見事に表現されておりました。あのシーンは幻覚だったのか本当に起こっていたのか未だに分からないといった場面もあり、ラストはそのために大変驚かされることとなりました。

 

しかしそもそもニナがこうも苦しむことになったのは、初めて選ばれた主役という栄光に固執しすぎたためであるとも言えます。もっとも彼女の場合は母親との関係性も一因としてあったでしょう。ですがそうはいっても孤高の主役として周囲と距離を置いてああも内向的に走らなければ、こんなホラー的展開にならずに済んだのにと悔やまれるばかりです。

いやはや綺麗な花にはとげがあるように、美しきバレエの世界にも主役の座をめぐって恐ろしい欲望や嫉妬が渦巻いているのですね……。


さて映画未視聴の方。少なくて申し訳ないのですが、残念ながらここからはネタバレが含まれることになります。ここまで読んでくださっただけで感激もひとしおでございます。ネタバレとかふざけんなという方は、これにてさらば。また会える日を願っております。

 ネタバレどんと来いという方は、このままスクロールお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこまでもひとり

先ほど書いたように、この映画はニナという一人のバレリーナがどこまでも内向的に自分自身を見つめたまま完結する物語です。

ニナは完璧主義者です。「白鳥の湖」の主役の座を射止めたのも、名声を得たり勝ちたいという欲よりも完璧さを求めた故であるように思います。

そしてややこしいですが、完璧主義者の方が自分のしたことが完璧かどうかを判断するのは自分自身ですよね。そう考えると、やっぱり彼女はどこまでも内向的で自分自身を評価することしかできなかったと考えられるのではないでしょうか。

逆に彼女は自らの感情を表に出すことは苦手としています。演技は完璧でも、もっと官能的に踊れと言われたとたんハの字眉になって気弱になってしまうのです。特にそういったえっちぃことに関しては疎く、言ってしまえばお堅いタイプでした。

感情の発露やえっちぃことをするには、相手が必要です。自分以外の存在に、自分の欲求や感情をぶつけるわけですからね。そのため内向的な彼女にとって、これらは苦手なことだったのです。

そんなニナが「白鳥の湖」の主役を完璧に演じ切るためにひねくりだした苦肉の策が、もう一人の自分を生み出すということだったのではないでしょうか。

ライバルであるリリーはずいぶん嫌な女性として物語にたびたび登場しますが、ニナが妄想の中でもう一人の自分として創り出した実在しない存在なのでしょう。実際のリリーは単に奔放でおせっかいないい人だと私は解釈しています。演出家のトマの「君の道をふさぐ者は、君自身だ」というセリフがまさにそういうことなのでしょう。

あれもこれも全部私、ぜーんぶ私の頭の中で起きていること♪です。

唯一ニナの作り上げてしまった世界に、ニナの先入観なしに干渉できたのは母親のエリカくらいでしょう。

エリカはエリカでちょっと怖い人でした。彼女自身もかつてはバレリーナとして主役にのぼりつめることが夢だったようですが、ニナを身ごもったために道半ばで諦めることになったのです。なんとも複雑な親子関係ですね。

そのためかニナが主役に抜擢されたときには少し様子が変でした。その後も、おそらくはそれまで以上にニナを束縛するようになります。それによってニナがさらに追い詰められていったのは間違いないでしょう。ゆがんだ愛は時に人を縛るのです、愛とはなんぞや。

しかしそんなエリカも、最後のニナの演技を見て感無量といった表情を浮かべていましたね。あの瞬間だけは、複雑な親子関係なしに一人の観客として感動することができたのでしょう。そのあとを思うと憂鬱になりますが、あれはあれでよかったと私は思います。

完璧な演技をするためには、最後に自らの命すら捧げなければならない。何とも皮肉ですが、最期の彼女の表情を見る限り、ニナは本当に満足していたのでしょう。

こういう“はたから見ればバットエンドだけど、本人的には幸せ”な『マッチ売りの少女』的エンドは、私としては好きです。それに完璧を求めた女性の物語であることを思えば、まさに完璧なラストだったといえるのではないでしょうか。

 

 

……といったように、いろいろと考えさせられる映画でした。まあ私の矮小な脳みそでは、そう核心に迫るような考察はできません。しかし本能で何かを感じとったような気がします。こればっかりは実際に映画を観てみないと分からないことでしょう。

プレッシャーに押しつぶされ少しずつ狂っていく怖すごいナタリー・ポートマンが見たいという方は、ぜひこの映画を観てみてください。


最後に。この果てしないインターネットという名の大海の片隅で、波にもまれつつもささやかに存在する当ブログを発見し、さらには最後まで読んでくださり誠に誠にありがとうございました。いつもながら、皆様の幸せを祈っております。

それでは、またどこかで。