ポークのウェルダンで物語な日々

主に映画、ときどき小説、漫画、ゲームなどの感想や紹介を書いています。

『心が叫びたがってるんだ。』感想|あなたが本当にしゃべりたいことは?

皆さまは、相手に本当に伝えたいこと、しゃべりたいことをちゃんと声に出して叫んでいますか?

まあ叫びはしないにしても、伝えたいことをちゃんと伝えるというのは大切なことです。悲しきかな我々人類はエスパーではありませんからね、相手の心を100%完璧に感じ取り理解するなんてことはできません。ですがつたなくとも言葉にしてどうにかそのニュアンスを伝えることはできるのです。

いいや表情や仕草だけで僕たちは会話できるね、僕らはいつも以心伝心、などと強がってはいけません。そんなことを言ってちゃんと言葉にしないから争いはこの世からなくならないのです。

そんなの聞いてない、詐欺じゃないかなんてことになってからでは遅いのです。本当は結婚したくなかった、就職ではなく進学したかった、公務員ではなく花火師になりたかった……後になってから恨み言をぶつぶつと言うくらいなら、まずは話してみるべきなのです。

案外すんなりと受け入れてもらえるかもしれませんからね。花火師になりたいと言ったら、実はお父さんも昔は花火師が夢だったんだなんて言って、かつての師匠を紹介してくれるかもしれません。父の夢を受け継いだ大きな大輪の花火を打ち上げられるかも。

もちろん、話したところでどうにもならない時もあるでしょう。現実なんてダメなことのほうが多いかもしれません。しかし、きっとはっきりと口にするかしないかでは、のちの気持ちもまた変わるのではないかと思うのです。

もしもあの時はっきり気持ちを伝えていれば……。そんな後悔はやっぱりしたくないでしょう。それよりかは、あの時はあんな恥ずかしいこと言っちゃって、若気の至りだったなあなんてほろ苦い青春話にしてしまうほうが、まだ気持ちも軽いのではないでしょうか。

というわけで、私も後悔することがないように今の気持ちを文字に変えて叫ばせていただきます。

金が欲しい。

……さてそんな雑念にまみれた私のことなど忘却の彼方でよいのです。どうでもいい。むしろ忘れてほしい。

今回はそんな、“自分の気持ちを相手にちゃんと伝えること”の大切さを教えてくれたアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』の感想を書きたいと思います。

 

通称『ここさけ』。こちらは2015年公開の映画でして、ご存じの方も多いのではないでしょうか。私も当時はよくCMで予告編を見た記憶がございます。これまた通称『あの花』こと『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』のスタッフが制作したということで有名ですね。残念ながらわたくし『あの花』は観たことがないのですが、『ここさけ』を観るに、『あの花』もそれは丁寧に作られた良い映画なのだろうと思えました。

 

さて今回も長くなってしまった前置きはこれでおしまい、本編に参ります。

物語の核心に触れるようなネタバレはしておりませんので、まだ観たことがないという方もどうぞ安心してお読みくださいませ。

 

“言葉”の重さ

小学生のころ、自分のおしゃべりが原因で両親が離婚することになってしまった少女・成瀬順。彼女の目の前に玉子の妖精が現れ、二度と人を傷つけないようにとしゃべれなくなる呪いをかけられてしまいます。それ以来、順はしゃべろうとするとおなかが痛くなるようになってしまい、しゃべらない子のまま高校2年生になりました。

そんな時、高校で催される「地域ふれあい交流会」の実行委員に選ばれてしまい  !?順のほかに選ばれたのは、顔面バスケ部の無気力少年・坂上拓実、腕を痛めてしまった野球部のやさぐれ元エース・田崎大樹、チアリーダー部の部長にしてスクールカースト上位の優等生・仁藤菜月。

ただでさえ声が出ないというコミュ障の極みである私が、個性のごった煮なメンバーとクラスの中心的役割を担う実行委員なんて務まるの!?……でも私、歌でなら自分の気持ちを表現できるかもしれない……!

「地域ふれあい交流会」で披露することになったミュージカルで、今までずっとしゃべりかった気持ちを歌にして伝えようと決意した順。少しずつ実行委員のメンバーとも打ち解けていき、ついに「地域ふれあい交流会」当日を迎え  !?

はたして見事ミュージカルを成功させることができるのか!?順がずっとしゃべりたかったこととは!?涙なしには見られない青春物語が、今はじまる  !!

 

  なんていう、けがれきった大人になってしまった私からしたら、眩しすぎて目がつぶれるようなキラキラの青春ストーリーだったわけでございます。

しかし、言葉は人を傷つけること、一度口にしてしまえば取り消すことはできないこと、そして、それでも声に出して相手に気持ちをちゃんと伝えることの大切さ。『ここさけ』が教えてくれたメッセージは、青春真っただ中の若者だけでなくどんな人にも伝わってほしい内容だと思いました。

嫌なことがあったから。イライラするから。疲れているから。そんな理由で、何の関係もない人にひどい言葉を言ってしまったりはしませんか?言葉の暴力なんて言いますが、人の言葉は誰かを傷つけるためにあるのではありません。人をやさしく受け止め、包み込むためにあるのです。そう、例えるならばお布団のような。涼しくなってきた朝、エアコンをつけっぱなしにして寝てしまい、寒さで目が覚めた時。ずれていた布団をしっかりとかけなおした時のあのぬくもり。言葉には、そんなあたたかさがあるのだと思うのです。ええ、自分でもちょっと何を言っているのかよく分かりません。

しかし、一度発してしまった言葉は取り消せないのだ、それだけ言葉には重みがあるのだということを今一度確認する、そんなよい機会になりました。そして、勇気を出して気持ちを伝えることで変わることがあるのだということも。本当に良き映画でございました。

 

絵がきれい!

もう一つの『ここさけ』の魅力は、その作画の素晴らしさです。

背景が本当にきれいで、キャラクターはかわいい。もうこれに尽きます。ただでさえ青春ストーリーで若者たちがキラキラ輝いているというのに、背景までもが美しく輝いて見えるのです。まったくどれだけ輝けば気が済むのでしょうか、この作品は(褒めてます)。

また主人公・順ちゃんの仕草もコミカルで大変可愛らしいのです。同じ実行委員の坂上君も言っていましたが、声が出ないというのに動きで十分彼女がおしゃべりだということは伝わってきました。

気になったのは、しいて言うなら野球少年・田崎君でしょうか。野球部らしく坊主頭でいかつい顔をしているのですが、『ここさけ』は大変可愛らしい絵柄なので、ちょっと描き慣れていない感じがいたしました。しかし、可愛らしく少し幼い見た目の子たちばかりの中で、大人っぽい特徴を持った田崎君は、キャラクターたちの視覚的なバランスをとる上で重要な役割を果たしてくれたのもまた事実。一人だけ絵柄が北斗の拳でも困りますし、あれが一番ちょうどよいデザインだったのかなあなどと生意気にキャラビジュアルに関して考えたりも致しました。

 

主人公にやさしいセカイ

そんな素晴らしい映画だったのですが、どうしても言いたい野暮な不満が一つ。それは、主人公がちょ~っとイタイかな~ということでございます。

いえね、何かしらの悩みを持った若者たちが力を合わせて一つの大きなことをやり遂げるというストーリーは本当に素晴らしいと思いますし、シーンの一つ一つも本当にきれいで作画も大変丁寧に仕上げているのだなと感じました。しかし、その素晴らしいポイントを若干削る勢いで主人公がイタイ、そしてその主人公を受け入れてしまう周りの人々に違和感を感じてしまったのです。

高2で「しゃべるとおなかが痛くなる呪いがかかっている」とか公言できるものでしょうか。私が高2だった時期なんて太古の昔のことなのでなんとも言えませんが、現実でそんなことを言うクラスメイトがいたらドン引かれること山のごとしだと思います。暗い青春を送った私からしたら、そもそも口もきけずただもじもじする女の子なんて、陰でJKたちにキモイキモイと噂され下手したらいじめの標的になってしまうことでしょう。橋本環奈級にかわいい子でない限り、映画のように男の子が手を差し伸べてくれたり、クラスのみんなが受け入れてくれることなどないだろうと、けがれた大人は作中そればかり気になってしまいました。

 

まあアニメ映画でそういうことを言いだすのは野暮だろう、お目目ぱっちりに可愛くデフォルメされた女の子だからこそいいんじゃないかとも思うのですが。ただ、キャラクターたちは大変かわいらしく描かれてはいるのですが、彼らが歩く世界はあまりにも美しくリアルな背景として描かれているもので、やっぱり違和感を感じてしまったのです。人々が歩くさまを遠くから映した街並みの風景なんて、ぱっと見では実写かと思ってしまうほどリアルに描かれていました。

そんなわけで、キャラクターと背景とに少しだけズレを感じてしまったのでした。

 

ちなみに、つらい経験をしたことで声を失ってしまう少女の物語と言えば、私が遠い昔に読んだ青木和雄著『ハッピーバースデー~命かがやく瞬間~』という児童小説を思い出すのですが、こちらの小学5年生の主人公は呪いだなんて一言も言いませんでしたね。こちらも大変感動する名作でして、私も読み返すたびに涙がちょちょぎれております。小さなお子さんはもちろん、大人の方にもおすすめの作品でございます。

 

 

そんなこんなの『心が叫びたがっているんだ』でございました。

玉子の妖精とか呪いとかをはさむのではなく、普通に幼少期のトラウマで声が出なくなった、だけではダメだったのかな~などと気になってしまった部分もございますが、この作品が伝えたかったものには確かな価値があると感じました。青春を思い出したい方、泣きたい方、主人公の精神年齢の低さに耐えられる方、そんな方々にはとてもおすすめの作品となっております。いろいろな意味で面白い映画でございました。

 

最後に。台風が来るだなんだと騒がれる昨今、そんな自然の脅威には負けぬとインターネットを開き、こんなとりとめもない駄文たちを読んでくださったそこのあなた。もしも台風が今来ているというのなら、停電の恐れがあります、こんな駄文のために電気を使ってはいけません。パソコンもスマホも貴重な情報源であり、連絡手段であり、光源でもあります、しっかり充電しておいてください。でも読んでくださったことに台風よりも強く感謝いたします。この駄文が少しでも気休めになりますように。

そして台風?なんのこっちゃという方へも。ハリケーンよりも大きな感謝の心をささげます。どうぞお体に気を付けて、健やかにお過ごしください。皆さまが台風になど負けず自分の気持ちを叫べますように。

それでは、またどこかで。

『Mr.&Mrs. スミス』感想|敵味方を越えた真実の夫婦愛とは

結婚って何でしょう。夫婦の愛とは?

「結婚は人生の墓場さ」「夫婦円満の秘訣は忍耐だわ」なんていう熟年夫婦の嘆きはよく聞きます。ですがもっとも大切なのは、互いを信じ合うことではないでしょうか。

 

夫が残業で夜遅くに帰宅した時。本当に仕事だったのかしら?疑いたくなる気持ちはわかります。

しかし、もしも本当だったら?

妻の幸せのために汗水垂らして必死に働いたというのに、その妻ときたら僕の不貞を疑っているだって!?

なんて事態にもなりかねません。

 

逆もしかり。

夫よりも早く起き、一日中家事に育児に疲れ切って夜。休んでいる妻の姿だけを見て「怠けている」「お前はいいよな」などと言われてはたまったものではありません。定年退職と同時に離婚届を突きつけられるエンドへまっしぐらでしょう。自分の見ていないところで頑張っていたのだ、だから疲れていたのだとなぜ信じられないのか。

 

そうです、夫婦間で互いに疑い探り合うなど無意味なのです。疑うなんて野暮なことをしたところで、誰も望まぬ結末にしか転がりません。

だったら、その疑惑もすべて受け入れた上で信じてしまえばよいではありませんか。ただただ盲目的に信じていれば、互いに何も知らなければ、幸せはずっと続くのです。パンドラの箱を自ら開けることはありません。

なぜそんな身もフタもないことを言うのかって?箱だけに?

夫婦には、いえ夫婦だからこそ、パートナーには決して明かせない秘密があるものだからです。

妻が何か隠している?当然です、夫もまた隠していることがあるのだから。世の中には知らないほうが幸せでいられることが山ほどあるのです。秘密なしに人は生きていけません。宝物みたいに大切に隠すことがたまらなく好きなのでしょう。

さあ、あなたの秘密は、なんですか?

 

というわけで、なんかそれっぽいことを書いてみました。戯言なので読み飛ばしていただいて結構です。今更ですが。

いやはや秘密なんて抱え込むもんじゃないですよ。早い段階で打ち明けてしまえばいいのです。隠し事なんかしたってろくな事にはなりませんからね。

何、私の実体験をもとに言っている訳ではありませんよ?

とある夫婦が、まさに秘密を持ったためにどえらい目にあったのです。今回はそんな夫婦の物語、映画『Mr.&Mrs.スミス』の感想をつらつら書きたいと思います。

 

恒例となりつつある長~い前置きはこれにておしまい、本編スタートでございます。

物語の核心に関わるようなネタバレはしておりませんので、どうぞご安心あれ。

 

夫は殺し屋、妻も殺し屋

ブラッド・ピット演じる夫ジョンに、アンジェリーナ・ジョリー演じる妻ジェーンという、神がえこひいきしているとしか思えない美男美女のオシャレおしどり夫婦。周りの誰もがうらやむような二人ですが、どこかおかしい。そう、二人はお互いに殺し屋であることを隠して結婚していたのです。

結婚して5年もしくは6年、出会った頃のトキメキも忘れ、仕事で忙しくすれ違う日々。子供もいないし、まさに夫婦の倦怠期といった様相を呈してきたそのとき、妻ジェーンにとある青年の暗殺依頼が舞い込みます。そしてなんという運命のいたずらか、夫ジョンのもとにも同じ青年の暗殺依頼が来てしまうのです。

嗚呼なんたることか、同じターゲットを狙うライバルとして相対してしまった二人。果たして戦うしかないのか!?それとも敵味方をこえた真の夫婦の愛が二人をつなぎとめるのか!?

気になる!気になるけど結末は観てのお楽しみだあ!

 

といったストーリーでございます。なんとも面白い設定でしょう?

世の奥様方が大好きであろうブラッド・ピットに、スタイル抜群くちびるプリプリのアンジェリーナ・ジョリーという二大巨頭が共演してしまった本作。もはや役者が映画を食わんとする勢いでぐいぐいと観る者を引っ張ってくださりました。

ブラピことジョンは、仕事はできるけれど少々強引なところがある男です。暗殺にもバズーカのような巨大な銃を持ち出してくるというなかなか破天荒な野郎ですね。

一方アンジェリーナ・ジョリー扮するジェーンは、緻密に計画を練りその通りに遂行するデキる女タイプです。

このそれぞれのキャラクターが、役者のイメージとも本当によく合っていました。一見正反対の二人ですが、案外こういった組み合わせのほうがいい味を出すものです。あらゆる具材のうま味がバランスよく合わさりハーモニーを奏でる、お母さんの味噌汁のような映画でございました。褒めてます。

 

アクションがすごい

設定もさることながら、アクションもまたド迫力でございます。

カーチェイスに豪快な爆発シーン、エンターテインメントのすべてを詰め込んだエンターテインメントの祭典がそこにありました。たくさんのお金の音がしました。

防弾チョッキを着ているとはいえ、なぜこれだけ銃弾を浴びてなお戦えるんだ?逆に敵も防弾チョッキを着ているっぽいのに、なぜ倒れるんだ?なんていうお約束の不思議展開もちゃあんと用意されております。いえ決して馬鹿にしているのではございません。エンターテインメントにこうした展開はつきもの。面白ければなんだっていいのです、それが私の主義でございます。

とにかく頭を空っぽにして観るには最適なワクワクドキドキ楽しい作品となっておりました。

 

また個人的に好きだったのが、戦闘の最中にたびたびはさまれる夫婦の会話です。銃声と爆発音をBGMに「実は~」と隠されていた結婚生活でのお互いの秘密を暴露しあう場面は、息つく暇もない戦闘シーンの中で程よい笑いを届けてくれました。こうした会話と銃撃戦のバランスがとても良く、自然と引き込まれて物語が終わった時にはちょっぴり寂しい。そんな気持ちにさせてくれる映画でした。

 


ね、やっぱり秘密は持つものではないでしょう?

人生のパートナーに対して隠し事があるなんて、ちょっと心苦しいですしね。打ち明けてしまえばスッキリです。

まあ秘密の内容によっては、修羅場からの離婚なんてことにもなりかねませんけれど。そもそもバレては困るから秘密なのです。本当にまずいことは、墓場まで持っていく心づもりで生きていくほうがいいのでしょう。……言っていることがめちゃくちゃ?私もそう思います。

きっと何事もほどほどにが一番良いのです。

 

ということで今回はここまでにございます。

最後に、2億4千万の瞳の中であなたの瞳が、このエキゾチック・ジャパンの底に沈むこのような駄記事を見つけ、あまつさえこんなところまで読んでくださったことに、心より感謝申し上げます。

あなたの瞳に、乾杯。それでは、またどこかで。

『アリス殺し』感想|それは本当に夢か?現実か?

どうもはじめましてこんにちは。おはようからおやすみまで、あなたを見守るポークでございます。


突然ですが皆様は、夢を見ますでしょうか?

僕は将来パイロットになりたい。いやいや今の時代は安定した公務員が一番だ。私は貯金していつかマイホームを買うわ。なんていうほうの夢ではありません。


星降る夜に、お布団の中で見る夢でございます。私は最近あまり夢を見ませんが、昔見た巨大な猫に追いかけられるという夢が大変印象に残っております。

まったくもって奇想天外な夢をしょっちゅう見るなんて方もいるようで、夢日記をつける方もまたいらっしゃるとか。

そういった方は別として、みなさまは最近見た夢を思い出せるでしょうか。

その夢の内容が、ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』に登場するキャラクターになって不思議の国で過ごすなんてものだったりはしませんか?

だとしたら、あなたには不思議の国にアーヴァタールが存在しているのかもしれません。

何を意味不明のことを言っているのかって?心配することなかれ、私はいたって正気でございます。

ただ、不思議の国の夢を毎晩見るという、魔訶不思議な体験をした女の子の物語を読んだのです。


というわけで、今回は小説の感想を書きたいと思います。その名も、ドン

小林泰三著『アリス殺し』

ずいぶんと物騒な題名ですが、なんとも興味がわくではありませんか。かくいう私もこの題名だけを見て衝動買いしたクチです。そして思ったとおり、とても面白い物語でした。


またネタバレにつきましては、推理小説で犯人の名前やトリックを暴露するなんて野暮はいたしませんので、未読の方もどうぞご安心くださいませ。


さて、ここまでの長い前置きは忘れていただいて結構。皆様を世にも奇妙な物語へご案内いたしましょう。

 

序盤はとにかくイライラする

主人公・栗栖川亜理は、不思議の国で暮らすアリスの夢ばかりを見ることに気づきます。しかしある日、夢の中でハンプティ・ダンプティが墜落死すると、いったいどういうわけか現実でも彼女の身近で転落事故が起こってしまいます。

あなおそろしや。夢の中で不思議の国の住人が死ぬと、現実でその住人と夢でつながっていた人物までもが死んでしまうというわけなのです。(作中ではリンクしている不思議の国の住人のことを、インド神話からとってアーヴァタールと呼びます。)

困ったことに不思議の国では次々に殺人事件が起きていて、なんとアリスがその犯人として疑われてしまうのです。亜理は同じく不思議の国の夢を見ている同学年の井森とともに、真相究明に乗り出しますが……。

どうなるアリス、このままでは連続殺人事件の犯人として、赤の女王に首をちょん切られてしまう!アリスおよび栗栖川亜理の運命やいかに!?

そして連続殺人事件の犯人とは!?謎が謎を呼ぶ奇妙キテレツなミステリーが、今ここにはじまる!!


  なんていう、なかなかにワクワクするストーリーなのですが。

まず、本書をこれから読もうかな~なんて思っている方に言っておかなければならないことがあります。

それはすなわち、とにかく序盤でイライラさせられるだろうということです。

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を読んだことがある方はご存じでしょう。なんといっても、不思議の国の生き物たちはみんなアホか間抜けか嘘つきなのです。

そのせいで会話はいつも堂々巡り。冗談を本気にして騒ぐ、話の腰を折る、ついさっき話したことを忘れる、また一から説明しなおす……。とにかく話が進みません。何度本を放り投げたい衝動にかられたことか。しかしそのたびに本は数少ない私の友人であると表紙をやさしくなでつつ、深呼吸してどうにか読み進めました。お間抜けな彼らと実際に会話しているアリスの心労を思えば、文字越しに展開を眺めている程度の私の腹立ちなど些事中の些事でしょう。

しかし、後半からは一気に巻き返します。深まる謎や次々に殺されていく登場人物たちに戦々恐々としつつも目が離せないといった調子で、一気に読むことができました。思いもよらなかった真相やトリックが飛び出して、前半のもどかしさなど吹っ飛んでしまいました。

ですからたとえ序盤であまりにイラつき脳の血管がプッツンしそうになったとしても、そこで放り出してしまうのはもったいないと思います。いえプッツンしろと言いたいのではありません。はやく謎を解くことばかりにこだわらず、一歩引いた気持ちで読むとよいと思うのです。一見どうでもいいつまらない会話に思えても、実は真犯人につながる重要なヒントが隠されたセリフだってあるかもしれませんからね。

それに、慣れてくるとおバカなキャラクターたちがだんだん愛おしく見えてくるのです。それだけに次々と殺されていくのは心が痛みました。彼らには心よりご冥福をお祈りいたします。

 

描写が怖い

『アリス殺し』の本文はセリフがほとんどなのですが、たびたび出てくる死体の描写や殺害シーンなどはリアルめに書かれていてちょっとグロくなっていました。なので苦手な方はご注意くださいませ。

文章で説明されるだけに、想像力が豊かな方ほどひどい目に合うのではないかと思われます。

 そして、だいぶグロいことになっているというのに、あまりキャラクターが痛そうにしていないというのも特徴だと思います。読んでいるこちらも、まるで痛覚がマヒしているような、彼らが何かの作りものであるかのような錯覚を覚えました。それなのに生々しい赤い血やらなんやらは飛び出すという、なんとも気味の悪い雰囲気が出来上がっているのです。思わず、これ本当にミステリー?ホラーじゃね?と突っ込みたくなること間違いなしです。

ですが、こうした書き方は童話『不思議の国のアリス』にもあった、奇妙な世界観、不条理なストーリーなどからくる不気味さと通じるものがあります。まさに『アリス殺し』の名にふさわしいお話だったというわけです。本当は怖い昔話を読んでいるような、ダークなメルヘンを味わった気分になれました。

 

井森とビルが好き

この物語のキーとなるのは、やっぱり井森とビルというキャラクターでしょう。最後に彼らの魅力について語りたいと思います。いえ語らずにはいられません。

なんといってもわたくし、作中では主人公の栗栖川亜理よりもアリスよりもダントツで井森およびビルが好きだったのです。きっと同志は多いはず。

井森は現実世界で亜理と同学年の男子学生で、ビルは井森の不思議の国でのアーヴァタールです。現実世界では亜理と井森が、不思議の国ではアリスとビルがコンビを組んで事件捜査に乗り出します。 

まず、ビルはトカゲだったりします。もう正真正銘のおバカさんです。上に書いた、キャラクターがアホすぎて大変イライラさせられたというのは八割がたビルのせいです。そんなビルが気づけば大好きになっているのですから、世の中どう転ぶか分かったものではありません。ダメな子ほどかわいいとは言いますが、ビルは大気圏を突き抜けんばかりのおバカさんでも、根はいいヤツなのです。

一方の井森君は大変頭がよく、犯人探しをする上でも亜理より機転が利いて鋭い洞察が光ります。まったく、井森のアーヴァタールがあのビルだなんて悪い冗談だろうと思いますが、実際そうなのだから仕方ありません。確かにどこかビルのようなおっとりしたところもあって、変人な天才タイプといったところでしょうか。

どうやらアーヴァタールというのは、その人であってその人ではなく、井森の場合はビルでいる間に記憶は共有できてもビルの思考や感じ方しかできないようなのです。そのため現実では後光が見えるレベルに頼もしい井森君も、不思議の国ではてんで役に立たない、3歩歩いたらすべて忘れてしまう間抜けのビルになってしまいます。

このギャップがまたなんとも言えずよいのです。ストーリー的にも面白いキャラです。

 

そして井森とビルは『アリス殺し』シリーズの『クララ殺し』『ドロシイ殺し』にも登場するようで、その人気っぷりがうかがえるというものです。この二作品はまだ文庫化はされていないようで、お手頃価格で変える日を今か今かと待つばかりです。私も早く読破したくウキウキしております。

 

 

というわけで、いやはやビックリ仰天マカフシギなダークミステリーでございました。思ってもみなかったトリックに見事に騙され開いた口が未だにふさがりません。ビルのような間抜けは私でしたね。

本当に素晴らしい作品をありがとうございます。ごちそうさまでした。

 

最後に。複雑怪奇な駄文のラビリンスをこえ、こんなところまで読み切ってくださったあなたに、溢れ出る心からの感謝をささげます。あなたの夢が楽しいものでありますように。

それでは、またどこかで。

『アナベル 死霊博物館』感想|なんて楽しいホラー映画なんだ!

こんにちは、口笛を吹こうとすると隙間風のような音が出るポークでございます。

今回はとっても楽しいホラー映画を劇場にて観賞いたしましたので、ご紹介したいと思います。

その名もこちら、ドン

『アナベル 死霊博物館』

かの有名な死霊館シリーズの最新作ですね。死霊博物館とは言い得て妙、たしかに古今東西のお化けたち大集合でございました。

今現在(2019.10.4)も劇場にて公開中ですので、気になる方はGOでございます。やっぱりホラーは映画館で観ないと迫力や怖さが半減してしまいますからね。

 

さて、いったいどんな仕上がりになっているのか、怖いのか怖くないのかどうなんだ!?と気になる方もおられることでしょう。焦ることなかれ。これからちゃんと『アナベル 死霊博物館』の魅力を嫌がられようとも語っていきますので、刮目してお読みください。

 

なお、物語の核心に触れるようなネタバレは避けておりますので、未視聴の方もどうぞご安心くださいませ。

 

ぶっちゃけそんなに怖くないよ!

はい。結論から言いますと、私はそれほど怖くは感じませんでした。そもそもホラーはわりと平気なタチなのですが、今回のアナベルは特に怖さよりも楽しさの方が勝っていたように思います。

 

まさにアトラクションでした。本作はいわゆるビックリ系ホラーでして、次から次へとお化けたちがばあ!ばあ!と登場するまさに遊園地のお化け屋敷ホラーです。ホラーといえば、ジメジメとしていて見終わった後も背後が気になってしまうような、そんな後味の悪いイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。

しかし『アナベル 死霊博物館』は清々しいほどに後味すっきりなのです。例えるならジェットコースターに乗った後のような。もちろん驚かされはするのですが、あまりにも正々堂々とおどかしてくれるもので、ぎゃあ!と驚いた後に嫌なものが残らないのです。

 

さもありなん、そもそも本作のあらすじからして楽しいお化け屋敷映画であることは間違いないのです。というわけで、今更ながらそのあらすじを簡単に説明しましょう。

 

~あらすじ~

呪われしアナベル人形を含む曰く付きの品々を集め除霊しているウォーレン夫妻の家で、お泊まりをすることになった女の子3人。しかし、そのうちの1人ダニエラがアナベル人形を封じていたガラスの箱を開けてしまい、アナベルによって地下の部屋に納められていたあらゆる“ヤバイ”品々の霊たちが呼び覚まされてしまう!!

悪霊の魔窟となったウォーレン家!果たしてか弱い女の子たちだけで地獄の一夜を乗り切れるのか!?恐怖のお留守番が、今始まる  !!

 

  ね?お化け大集合、それはそれは楽しそうでしょう?

アナベルはもちろん、怪しげな日本の鎧兜、両目にコインを乗せるというファッション界の革命児フェリーマン、人をウェディングドレス姿に変え包丁を握らせるというこれまたファッション界にニューウェーブを巻き起こさんとする女幽霊、黒い魔犬……とにかくまあお化けたちが大暴れというストーリーになっております。もはやカオス、怖いものもここまで集まると逆に面白くなってくる。それこそが本作の魅力だったりします。

 

そんなわけで『アナベル 死霊博物館』はホラーが苦手だという方やお子さんにこそおすすめだと思います。主人公3人もキャピキャピとしたティーンエイジャーなので、まさにその年頃の方なら友達と観たりしてキャピキャピと楽しめることでしょう。鑑賞後も嫌な気持ちになったりはしないので、よほど小さなお子様でなければトラウマになるなんてこともないかと思います。観てしまったお子様は、今後のお留守番に注意です。

逆にホラーというホラーを求め数多の恐怖をくぐり抜けてきた歴戦のホラーソムリエの方は、ホラーと思わずに観た方が楽しめるでしょう。巷ではホラー版『ナイト ミュージアム』やら『ホーム・アローン』などと噂されているようですが、まさにその通り。ホラーにまみれた日々のちょっとした息抜きにファミリー映画でも観よう〜くらいのつもりがちょうどよいかと思われます。

 面白いか面白くないかで言ったらもちろん面白いので、どんな人にもおすすめなのは間違いありませんがね!

 

キャラクターが魅力的!

本作のもう一つの魅力は、なんといってもキャラクターの良さです。

ウォーレン夫妻の一人娘、とびきりプリティーガールなジュディ。夫妻が不在の間(シャレではありません)ベビーシッターとしてやってきた夫妻の姪であるメアリー・エレン。好奇心からウォーレン家に上がり込んでしまった、メアリー・エレンのクラスメイト・ダニエラ。

この3人のうら若き乙女たちが、どえらい目に遭うわけです。

そして、実はウォーレン家の外で1人奮闘していたギター少年・タマありボブ。彼に関しましては、映画を観てのお楽しみとしておきましょう。

 

個人的に一番好きになってしまったのはダニエラでしょうか。

ウォーレン家の地下に納められた曰く付きの品見たさに無理に上がり込むという、ずいぶんと自己中な女の子ですが、実は彼女、本当はいい子なのです。

そもそもダニエラがアナベルを開放しなければ、こんな妖怪大戦争的カオス事件は起こらなかったわけで、彼女が全てにおける戦犯であることはまぎれもなく事実なのですが。それでもダニエラが夫妻の心霊コレクションにベタベタと触りまくり、あまつさえアナベルの封印を解いてしまったのには、同情すべき理由があったのです。こういうの本当に弱いんです、私。

まあそうは言っても6:4くらいでギルティだとは思いますよ、ええ。ですが多感な年ごろですし、そういうこともやっちゃうよねなんて思ったりもするのです。

散々怖い思いもしたし、このままではちょっとかわいそうだと思っていたところで、ラストに救いがあったのもよかったですね。彼女には将来幸せになってほしいものです。

 

そして、かわいさ担当のジュディちゃん。彼女はかわいい、本当にかわいい。笑ってもかわいいし、寝ててもかわいいし、怖がっていてもかわいい。

え、気持ち悪い?ええ変態で結構、そういうあなたは映画を観ていないからそんなことを思えるのです。本作を観てしまえば、誰だってロリコンになれることでしょう。だってかわいいんだもの。かわいいは永久に正義なのです。

しかしジュディちゃんはただかわいいだけではありません。さすがはウォーレン夫妻の娘なだけあって、肝っ玉が据わっています。年上のお姉さま2人がキャーキャーと怖がる中、私が行くわ!と飛び出していくシーンがございまして、その背中の頼もしいことといったら。そしてそのギャップから生まれるかわいさの暴力に、見る者はメロメロになってしまうことでしょう。

 

そしてキュートなブロンドヘアーのメアリー・エレン。キャラの濃い2人に比べ若干役不足なところもございますが、漫才においてボケにはツッコミが必要なように、幼いジュディと奔放なダニエラを止めるうえで彼女はなくてはならない存在だったでしょう。それにたった1人でアナベル人形を取りに行くというガッツも見せてくれました。彼女がいなければギター少年も来てくれなかったでしょうしね。

 

何はともあれ、とにかく3人ともかわいいのです。かわいい子たちが頑張る姿が見れる、それだけでもこの映画には価値があるのではないでしょうか。何を言っているのか自分でもわからなくなりました。

 

 

そんなこんなの『アナベル 死霊博物館』でございました。
私としては怖さ的には物足りなく感じましたが、お化け大集合のカオスシーンには大変笑わせていただきました。童心に帰ってはしゃげるような、うれし懐かしな気持ちになれました。たまにはこういうのもいいものです。

 

最後に。増税に苦しみ日本の明日はどっちだと頭を抱えつつ、でも計算は楽になったよねとせめてもの希望を見出す。そんなあなたがこの記事を見つけ、こんなところまで読んでくださったこと。私にとってそれは、税率なんかどうでもよくなるくらい嬉しいことなのです。
あなたの毎日が、増税に負けないくらい楽しいものでありますように。
それでは、またどこかで。

『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』感想|青春とはいいもんだ

突然ですが、あなたが最も怖いと思うものは何ですか?

お化け、ケガや病気、死、通信簿、通帳の残高、注射……。

本当に怖いのは、人間の心さ……なんてかっこつけて言う人もいるかもしれません。高所恐怖症や先端恐怖症なんかもありますね。

かくいう私が一番怖いのは、やっぱり饅頭でしょうか。嘘です。

さて、どんな人にだって怖いものはあります。その人が怖いと思うものをあえて見せてくるタチの悪いアイツ……いえ“IT(それ)”の物語を鑑賞いたしました。

というわけで、『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』の感想をつらつらと書いてみたいと思います。

 

ですがしかし。まずはじめに申し上げねばならぬことがございます。

わたくし、ホラーが大好きです。ネットの怖い話などをよく読むのですが、そのせいか怖いもの耐性がついており、ホラー映画を観てもあまり怖いと感じません。辛い物を食べまくった結果舌が辛さに慣れてしまい、ピリ辛程度なら辛さを感じなくなってしまった辛党と近いものを感じます。ちなみにどちらかというと私は甘党です。

そういうわけで、ことホラー映画が苦手だという方に関しましては、私の言う「怖くない」を過信しすぎないようにお願いいたします。

とはいえ、『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』に関しては、ただ怖いというだけではない要素も含まれていますので、ホラー好き以外の方にもおすすめだったりします。

 

また物語の核心に触れるようなハードなネタバレは避けていますので、どうぞ未視聴の方も安心してご覧ください。

 

そんなこんなで長々~と前置きをいたしましたが、本題参ります。

 

ホラーというか、青春ヒューマンドラマ

いやはや、まさかホラー映画を見てこんなにも爽やかな気持ちになれるとは。劇場で観なかったことをここまで後悔したことがありましょうか。

ホラーとは名ばかり、こちらの映画には少年少女のまばゆく輝くような青春が溢れておりました。忘れていた過ぎ去りし学生時代を思い出し、あの頃の純粋だった心がヘドロのようにけがれてしまった現状に涙しかけたのは内緒です。

 

主人公と行動をともにする仲間たちは、みんな何かしらの欠点を持っています。学校ではバカにされ、自分たちのことを"ルーザーズ・クラブ"と称するほどです。

そんなすがすがしいほどに負け犬な彼らですが、みんなで団結すれば強いです。一人では弱い彼らが、寄り集まって強敵に立ち向かうのです。いじめっ子なんて目じゃありません。

そう、みんなといれば怖くない。仲間となら戦える。少年少女が大人の力を借りずに助け合って困難を乗り越え、ひとまわり成長する。そんなひと夏の物語。

『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』とはそんなストーリーです。彼らの“欠点”の多くが両親に関係するものであり、それを打ち破るという点も、自立や成長を表現しているのでしょう。

 

愛すべき負け犬たち

また“ルーザーズ・クラブ”のメンバーのキャラクターの良さも欠かせません。ひ弱で頼りなく見えるけれど、やるときはやる弟思いの主人公ビル。正義感が強く心優しいべバリーに、人種差別を受けながらも強く生きる頼れる男マイク。引っ込み思案だけど仲間思いの太っちょベン。あとなんか、えっと、ユダヤ教のスタンリー。

(申し訳ないことにスタンリーの活躍はびっくりするほど思い出せず、いつも保守的で仲間たちの冒険に反対するという“必要っちゃ必要だけど嫌な奴”的ポジションだったことだけが印象に残っております。しかしDVD特典の未公開シーンでは、彼がユダヤ教の儀式を強要する父親に立ち向かうシーンが描かれておりました。スタンの唯一の見せ場といっていいシーンだったというのに、カットされてしまったことが大変惜しまれます。まあだからと言って別にスタンが好きとかそういうことでもないので、個人的にはどっちでもいいです。どんまい、スタン。)

 

そして、私が個人的に好きなキャラクター、リッチーとエディ。

この二人は常に何かしらをしゃべってましたね。リッチーはシリアスな場面で不謹慎なことを言ってしまう一言多いタイプで、エディは常に空気中の細菌の数やら感染症のリスクについてばかり気にする超潔癖男子です。どちらも現実ではあまりお近づきになりたくない二人ですが、暗い展開が続く中で彼らは一種の清涼剤でありました。それになんだかんだ言いつつも仲間を助けようとする姿は、かっこいいというよりもむしろちょっぴり可愛かったです。将来が楽しみな二人ですね。

 

また日本語吹き替えでは声優の皆様がうまくそれぞれの人物をキャラ付けしていて、より彼らの個性を魅力的に感じることができました。普段は字幕一択だという方も、たまには吹替で日本の声優のすごさを肌で感じてみてもよいかもしれません。

 

とにかく“ルーザーズ・クラブ”のみんなが大好きになりました。負け犬なんかじゃない、みんなみんな一等賞です。この世に負け犬なんて存在しません。みんな違って、みんないいんです。ゆとり教育万歳です、ええ。

 

……ね、ちっともホラーじゃないでしょう?言うなれば、ホラーの皮をかぶった『スタンド・バイ・ミー』です。

 

さあ、ここで一安心した怖いもの苦手っ子の皆様。
この通りホラー要素がなくても十分面白い物語ではありますが、大丈夫。これはホラー映画です。皆様の期待する怖ぁい展開だってもちろんあります。
というわけで次章では『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』の怖さについて書きたいと思います。


子供たちが“怖いもの”

この映画は、いわゆるビックリ系でございました。おどろおどろしく特殊メイクされた人々が大きな音とともにバーン!と大写しになります。

しかし、登場するお化けたちは様々な姿かたちで一貫性がなく、どこか子供だましじみておりました。違うんだよなあ、ホラーってのはただ驚かしゃあいいってもんじゃないんだよ。と批評家気取りで鼻をほじほじ観ていたその時の私をどうか笑ってやってください。

登場するお化けに一貫性がなく子供だまし。これこそまさにこの映画が表現しようとしていたものだったのです。

 

ペニーワイズが標的とするのは、子供たちです。奴は子供たちが怖いと思うものを見せ、怯えているところをさらうという卑怯極まりない手を使います。

そう、一貫性がないように感じたのは子供たちそれぞれが怖いと思うものの姿をしていたからだったのです。この映画が怖がらせたかったのは批評家気取りのけがれた大人である私ではなく、きれいな心を持った子供たちだったというわけですね。

そうと分かってからは、とても楽しく観ることができました。この子はあれが嫌いだからそんな姿のお化けに出会ったのねなんていう考察要素も出てきて、『スタンド・バイ・ミー』的展開も相まって最後まで大興奮でございました。

 

さて怖さについてですが、ホラーが苦手だという方にとっては結構怖いかもしれません。子供だましとはいえ、ペニーワイズがマナーモードばりにプルプルしながら近づいてくるシーンなんかはなかなかに気持ち悪いものでした。鑑賞後のお風呂や夜中のトイレには要注意でしょう。

逆にホラー大好き、もっと私に恐怖を……!なんていう方には怖さ度は少し物足りないかもしれません。ホラーというより『スタンド・バイ・ミー』を観るつもりでいたほうがよいでしょう。

本作では、鑑賞後のホラー特有の後味の悪さというよりも、歯磨き後のお口の中のようなスッキリ感を味わうことができました。そういう意味ではどんな方にもおすすめできる映画といえます。

 

 

というわけで、『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』の感想でございました。
青春時代なんて黒歴史の塊だとばかり思って記憶に蓋をしておりましたが、なんだかあの頃が懐かしく思えてくるような映画でした。また戻りたいかと言ったら、そんなことはないですけど。

 

最後に、山越え谷越えこんなところまで読んでくださった奇特なあなた。誠にありがとうございました。地の果てより皆様の幸せを祈っております。

それでは、またどこかで。

実写『アラジン』感想|実写化って素晴らしい

こんにちは、実写版『アラジン』が楽しすぎて二度も劇場で見てしまった阿呆ことポークでございます。

というわけで今回は『アラジン』の感想です。

劇場で見たくせに公開から4か月近くたった今投降するのかというツッコミはどうか飲み込んでやってください。この文章を書いたのは映画を観た直後だったのです。なので新鮮ほやほやの感想がここにございますので、どうかご容赦くださいませ。

 

 

まずはじめに私には懺悔せねばならぬことがあります。

公開前にジーニーのビジュアルが解禁になったとき、世間様からは「ただの青いウィル・スミスじゃん」などとツッコミの嵐が起こりましたが、かく言うわたくしも完璧に馬鹿にしておりました。

特に『アラジン』は子供の頃から大好きな映画だったので、昨今の実写化ブームに煽られて『アラジン』までかくの如きしょーもない二番煎じに成り果ててしまったと一人嘆くばかりでした。アホでした。

ええそうです。台風も巻き起こせそうなアツい手のひら返しには目をつぶっていただけるならば、私は言いたい。実写はすごいです。というかディズニーの映像技術がやばいです。神ってます。

青いウィル・スミス?問題ありません、慣れます。映画が終わる頃には肌色のウィル・スミスのほうが違和感を感じるようになっているでしょう。とにかくそれで映画を見ないのはほんとうにもったいないのです。

というわけで、「実写化なんて必要ねえ、アニメ原理主義万歳」などとのたまっていたかつての私のような偏見をお持ちの方。そんな方の心の殻を破り、実写化を愛する人々で地球をいっぱいにするべく使命感に燃えている……などというわけではありませんが、実写も捨てたもんじゃないぜ、見てみ?という気持ちを伝えてみたいと思います。

 

さてネタバレに関しましては、物語の核心に触れるような記述は避けておりますので、未視聴の方もどうぞ安心してご覧くださいませ。 

 

映像すごすぎ

時の流れとは恐ろしいものです。

あのアニメ映画『アラジン』を実写で違和感なく表現できてしまうというのは、控えめに言ってヤベエことです。

なんと言ってもランプの魔人ことジーニーの、あのハチャメチャな動きや魔法を表現できてしまうなんて!

アニメを見たことがある方はご存知でしょう。ジーニーは脅威の大宇宙パワーを持った魔人なので、大きくなったり縮んだり、あっちこっちに飛び回ったり、分裂したり、色々なものに化けたり…とにかく目まぐるしく動くし変化します。

アニメーションだからこそ表現できたと言っても過言ではない、というかそれこそアニメーションのすごいところだと思っていたのですが。驚くべきことにディズニーはやっちまったのです。実写で。

なんでも青いときのジーニーは頭のチョロ毛から半透明の下半身まで、100%すべてCGなのだとか。そうです、全身に青い絵の具を塗りたくったウィル・スミスではなかったのです。しかし、実際に映画を見たり予告編を見た方は、ジーニーがフルCGだなんて全くわかりませんでしたよね?「ただの青いウィル・スミスじゃん」も、案外誉め言葉だったのかもしれません。

 

美しいアラビアの国アグラバーの再現も素晴らしいものでした。いったいどれだけの人間が参加しているんだ、映画一つのために都市を一つ作り上げてないか?というほどに街には人や物があふれ、そこに息づいていたのです。

そう、カネです。金と技術が惜しみなく注がれた、汗と涙と莫大な資金の結晶。それが『アラジン』。

ディズニーはすごい。脱帽を通り越してハゲます。

 

ウィル・スミス仕様になったジーニー

私は小さいころからジーニーが大好きです。いつも明るく元気でハチャメチャで、でも優しく友達思いのいいやつです。もしも私もジーニーと友達になれるなら  それはそれで常にあのテンションでいられると疲れそうですが  遠くから見ている分には彼は最高のエンターテイナー、いえ劇中の歌にあるように最高の友達!でしょう。

 

というわけで実写版ジーニーはどんなことになっているんだと大変不安で一日9時間しか眠れませんでしたが、そんな心配は全くご無用でした。

結論から言うと、ジーニーはやっぱりジーニーでした。私が見たのは吹替一択で、山ちゃんじゃないジーニーなんてタコの入ってないタコ焼きと同じだ!というつもりだったのですが、声優が同じということもありすんなりジーニーと受け入れることができました。

さらにすごいのは、ジーニーはジーニーでも、ウィル・スミスナイズされたジーニーだったところです。

というのも、ジーニーの歌はほとんどが若干ラップの入ったヒップホップにアレンジされていて、ウィル・スミスっぽい仕様になっていました。通常、リメイク作品でもとの作品にアレンジを加えると「改悪」「原作の冒涜」などとバッシングの嵐を浴びるのが世の常であると私は思っていたのですが、『アラジン』は見事この常識を打ち壊してくれました。

ウィル・スミスの明るいヒップホップとジーニーのやんちゃな明るさが、最高にマッチしていたのです。

これはアニメと実写、どちらのジーニーも捨てがたいですね。もちろんそれを見事に演じ分けた山ちゃんにも脱帽どころではなくハゲます。山ちゃんあってのジーニーだと思ってます、ファンです。

 

今だから加えられたメッセージ

実写版『アラジン』では、新たにいくつか歌が作られています。その中でも特に印象に残ったのがジャスミンが歌う「スピーチレス~心の声」です。

近ごろのディズニーは女性の権利向上を訴えるメッセージが含まれた作品を作っており、2017年公開の実写映画『美女と野獣』でも、女性への教育の軽視を非難するような場面がありました。

今回の映画でもジャスミンは“自立志向が高い女性であるが、男性によって抑圧されている”ことを印象づけるキャラクターにもアップグレードされています。

アニメ版の時もすでに気が強く「私はゲームの賞品なんかじゃないわ!」なんて豪語するような女性でしたが、今回はさらに上を行く「国王になりたい」という「海賊王に俺はなる」的な某海賊少年もびっくりな願望を持った女性になっているのです。悪役ジャファーも、王子の助けを待つはずのプリンセスが、自分と同じく王座を狙うライバルになるなんて夢にも思わなかったことでしょう。

しかし、アグラバー千年の歴史の中で女性が王になったことはただの一度もなく、父である国王もそれだけは認めてくれません。王になるため子供のころから勉強し努力してきたというのに、彼女の声は誰にも届きませんでした。そう、スピーチレスです。

私は英語はさっぱりなもので、Speechlessという単語をどう解釈したものかはっきりとはわからないのですが、そういった意味もあるのだろうと思います。

そんな彼女の抑え込まれた思いが、叫ぶようにして歌われたのが「スピーチレス~心の声」なのです。

 

ジャスミンがこの歌を歌うのはあくまでも心の中で、周囲は時が止まっているような、少しだけ違和感があるような演出がされています。なんだなんだ、急にジャスミン以外動きが止まったぞ?となるような。しかしこれは、このシーンを印象づけるためのあえての演出であるように感じました。

この心の中での叫びがあったからこそ、ジャスミンは奮い立ち兵士のハキームを説得することができたのです。その姿は強さも女性らしい優しさもある、王たる威厳に満ちておりました。しびれます、あこがれます。

こうしたメッセージをディズニーが大々的に示すというのは、大きな意味があることだと思います。すべての女性に幸あれ。ついでに男性にも。

 

 

そんなこんなで、ずいぶんと長く語ってしまいましたが、今回はこれで以上です。
『アラジン』はやっぱりすごいです。実写を見てアニメを見返したくなり、アニメを見てまた実写が見たくなる……そんなループに陥る危険大な名作でございます。
願わくば、私のもとにも魔法のランプが現れんことを。

 

最後に、こんな駄文の果てまでお読みいただき誠にありがとうございました。マリアナ海溝よりも深く感謝いたします。
それでは、またどこかで。

『カールじいさんの空飛ぶ家』感想|いつでも夢を

こんにちは、ポークと申します。

 突然ですが。たった今このようなふざけた記事を読んでいる酔狂なあなた(ありがとうございます)、自分がまだ幼かった頃のことを覚えておいででしょうか。

わんぱくだったあの頃。お空の雲が綿菓子であると本気で信じていたあの頃。誰しも一度は、大量の風船を持って空を飛んでみたいと思ったことがあるのではないでしょうか。そんなこと考えもしなかったという方も、今思ったでしょう、きっと。

わんぱくキッズのころの夢は、大人になると「あの頃は馬鹿なことを考えたものだなアハハ」と心の奥底にしまいこんでしまうものです。実は今でも諦めていないなんて、みだりに言いふらすものではありません。ひとたびそんなことを言えば妄想癖のある人と思われ、下手をすれば心の病を疑われてしまいます。大人の世界は世知辛いものです。

が、しかし。大人どころか、定年を迎え年金受給者となってもなお、少年のころの冒険心を忘れずついには夢を叶えてしまったじいさんがおりました。そんなじいさんの物語こそが映画『カールじいさんの空飛ぶ家』なのでございます。

と、いうわけで。長々と前置きを垂れ流しましたが、『カールじいさんの空飛ぶ家』を鑑賞いたしましたので、感想を落っことしたいと思います。

 

物語の核心に触れるようなネタバレは避けているので、未視聴だという方も安心してご覧くださいませ。

 

ちょっぴり切ない冒険物語

主人公のカールと妻エリーは二人とも冒険が大好きで、いつかパラダイス・フォールという伝説の滝のすぐそばに家を建てて暮らすという夢がありました。しかし、それはそう簡単に叶えられる夢ではありません。夢を膨らませつつもじもじするうちにF1カーのごとく時は過ぎ去って、二人はじいさんばあさんになってしまいます。

しかしついに、妻エリーの死をきっかけにしてカールじいさんは旅立つ決心をしました。しかも風船を使って家ごと飛んでいくという茶目っ気たっぷりな方法で。さあカールじいさんの約半世紀越しの夢は如何に  !?

 

……といった感じの内容なのですが。

もう、普通に面白いです!

楽しい時間を過ごさせていただきました。

映画のポスターにもなっている、色とりどりの風船で家が空を飛ぶさまは本当に素晴らしいです。初めて遊園地に行った時のような、子供のころのワクワクを思い出し一人ニヤニヤしてしまいました。

主要登場人物の殆どが白髪の高齢者で、ここは老人ホームかと突っ込みたくなる絵ヅラ。なのに物語のテンポがとても良く、ついつい見入ってしまうのです。

キャラクター達もみんな可愛らしく、コミカルで見ていて飽きませんでした。まあ、序盤はとあるキャラに大変イラつかされましたが。それも愛嬌でしょう、終わり良ければすべて良し。鑑賞後はハラハラドキドキの冒険が終わった余韻とちょっぴり寂しさを覚えるような、そんな名残惜しい映画でした。

 

妻エリー

それにしても、冒険に行くのが妻エリーが亡くなってからというのはやっぱり切ないですね。最初にパラダイス・フォールを見つけたのはエリーで、ずっと行きたがっていたように見えました。

『カールじいさんと空飛ぶ家』のキャッチコピーの一つに「愛する妻が死にました  だから私は旅に出ます。」とあるように、この物語はカールじいさんが妻の死をきっかけに“旅をする”という第二の人生を歩みだすお話です。きっとカールじいさんは妻の死があったからこそ“妻のため”に旅に出る決意をしたのでしょう。それがなければ旅に出ることはなく、老人ホームでぼんやりと人生を終えていたかもしれません。

でもやっぱり切ない。いくつになっても夢を忘れないじいさんとゆかいな仲間たちがハチャメチャに大冒険をする、とっても楽しい映画なのですが、どこか切ないのはエリーの存在があまりにも大きいからでしょう。

 

そう考えると、言ってしまえばこの映画は妻エリーの供養の物語であったとも思えてきました。

カールじいさんは自分の家そのものを妻エリーとして呼びかけたりします。エリーの魂が宿る空飛ぶ家で、生前彼女と行きたいと言っていたパラダイス・フォールへ向かう。

そしてその冒険を終えた時、エリーの供養を終え、その死を乗り越えたことになるのではないでしょうか。そしてそこからは、カール自身の新しい人生が始まるのです。

 

ラッセルとかいうクソガキ

なんといっても、あの憎たらしかった小デブ少年ラッセルの存在感はデカかったですね。登場して間もない頃の彼は、人をイラつかせる天才でした。カールとエリーのエピソードを先に見ていただけに、ラッセル少年はフレドリクセン夫妻の大切な思い出が詰まった家を踏み荒らす小さな怪獣か何かにしか見えませんでした。

それでいて体力もなくチョコをむさぼる怠惰な姿。自分が人を不快にしているなんてみじんも思っていないとぼけたツラ。何度このクソガキをはっ倒したい衝動にかられたことか。よほど寛大な慈悲の心に満ちた人、もしくは自分がイラつくことに興奮を覚える特殊な性癖を持った方でなければ、あの少年を映画のはじめから愛することはできなかったでしょう。少なくとも私には無理でした。

でもやっぱり、彼には彼なりの苦しみがあったのです。詳しくは省きますが、ラッセル少年のこれまでの傍若無人ぶりを完全に払拭するまではいかずとも、まあはっ倒すのはやめてやろうと思えるような事情が彼にはありました。

そして彼は終盤においてはまあまあ活躍を見せてくれます。ラッセル少年は人を振り回す迷惑なガキンチョではありますが、やるときはやる男だったのです。おかげで私の彼への評価も上がり、“大嫌い”から“どちらかといえば嫌い”に昇格しました。(好きになるのはちょっと無理です。)これから見る方も、序盤での彼があまりにひどくとも、深呼吸をして平常心を保ちつつ終盤の彼に期待して鑑賞することをお勧めします。

……とはいえ、あくまでもこれはテレビの裏で絡まる配線コード並みにねじくれた心根を持つ私の感想なので、ラッセルにもまだ見ぬ良きところがあるかもしれません。ごめんなラッセル。

 


そんなこんなで、大変楽しい映画でございました。いくつになっても冒険とはげに面白きものですね。カールじいさん(とついでにラッセル少年)たちのこれからに幸あれ。

 

最後に、このような駄文に最後までお付き合いくださりまして、誠にありがとうございました。読んでくださった皆様に幸あれ。
それでは、またどこかで。